【報告】古代高麗郡の解明へ! 王神遺跡発掘調査現地見学会に参加しました。

【報告】古代高麗郡の解明へ! 王神遺跡発掘調査現地見学会に参加しました。

7月22日土曜日、日高市高萩地区の「王神遺跡発掘調査現場」で

現地見学会が行われ、午前午後合わせて120人が参加しました。

これは、現在発掘調査を行っている、日高市教育委員会生涯学習課が実施しました。

 

今回の発掘現場は、日高市の高萩地区の県立日高高校南側で、「王神遺跡」の一角です。この一帯は、小畔川左岸に位置する平地にあり、高麗郡建郡後の奈良、平安時代の集落です。

発掘調査によれば、竪穴式住居址28軒、掘立柱建物跡19棟、井戸跡5基、道路跡1条、水路跡1条などが見つかりました。東隣の拾石(じゅっこく)遺跡や、小畔川対岸の堀ノ内遺跡と一帯と考えると、大規模な集落だったといえるでしょう。

 

 

また、今回発掘された遺物には、須恵器、土師器(はじき)という土器が多あり、中には「上」「上家」と書かれた墨書土器や、円面硯(えんめんけん)の脚部などもあります。当時、字が書けるのは、役人や有力者に限られていたそうで、つまり身分の高い人がいたということになるわけです。これらのさらなる解明が待たれます。

これまで、王神遺跡からは鳥形硯(とりがたすずり)が、拾石と堀ノ内遺跡からは丸鞆(まるとも)や巡方(じゅんぽう)といった役人が身に着ける装身具や漆紙(うるしがみ)が出土したことから、役人の施設があったのではと考えられています。

 

 

見学会では、遺物展示を見学したほか、発掘現場の中に入り、日高市教育委員会の文化財担当者から説明を受けました。竪穴式住居の床の高さ(底)は1mほどになるとか、建物跡が重なって出てきたところでは、場所を変えて立て直している様子もはっきりわかります。また掘立柱建物跡では、柱の穴の位置や数で軒があったこともわかります。

 発掘現場を実際に見て、説明を受けると、「なるほど」と理解につながります。先人が残した遺構や遺物に、はるか千数百年前へ想像を巡らせることができます。

今後も発掘調査が進み、古代高麗郡の郡衙(ぐんが)などが特定されることを期待します。

これからも高麗郡の歴史解明に目が離せませんね。

(参考:王神遺跡発掘調査現地説明会配布資料)

 

 

 

 

 

 

出土された須恵器は、いったいどこで作られたのでしょうか?高麗郡の北には「南比企窯跡群」(鳩山町)と南には「東金子窯跡群」(入間市)があり、瓦や須恵器を大量に製造していました。今回の遺物の中にはそこで焼かれたものがあるそうです。

さて、10月22日(日)には、第2回高麗のふるさと歴史ウオークを実施いたします。今回は、その窯跡群のひとつ「東金子窯跡群」を訪ねます。「東金子窯跡群」は、飯能市と入間市の境、加治丘陵にあります。ウオークでは、その丘陵内のハイキングコースをたどりながら窯跡を巡り、さらに遺物が展示されている入間市博物館「アリット」を見学します。