【報 告】中世の東アジアの交易と「倭寇」の実態を知る。  第8回高麗郡中世歴史講演会 3/14(土)

【報 告】中世の東アジアの交易と「倭寇」の実態を知る。  第8回高麗郡中世歴史講演会 3/14(土)

 2026年3月14日(土)、日高市総合福祉センター『高麗の郷』研修室で、第8回高麗郡中世歴史講演会を開催しました。前回(昨年)にひき続き、東京大学名誉教授の村井章介先生を講師としてお招きし、中世の倭人たち(海洋アジア地域で活躍した境界人)の活躍を中心に「倭人とは何者か いま説き明かす中世倭寇のすがた」をテーマに講演いただきました。
 今回も地元のみならず県外からも申し込みがあり、当日は90名(一般45名+会員等45名)が参加しました。

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 まずは講演に先立ち、高麗1300副会長で高麗神社宮司の高麗文康、ならびに日本高麗浪漫学会会長の新井孝重が、主催者として挨拶しました。

高麗1300副会長 高麗文康
日本高麗浪漫学会会長 新井孝重

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 第一部の講演では、村井章介先生に「15世紀朝鮮・南蛮の海域交流と倭人」と題して、お話いただきました。

 冒頭、「冊封(さくほう)関係と朝貢貿易、海域交流」に対する解釈の定義がありました。中世における「冊封関係」とは、一般的に、中国の皇帝と周辺諸国の王や首長との間で結ばれた、君臣・親子・兄弟などになぞらえた関係であり、そこで中国と外交関係を結ぶ資格があるのは周辺諸国の王のみだったというものです。諸国の王は、中国に「朝貢(ちょうこう)の使節」を送り、皇帝はこれに「回賜(かいし)の品」を持たせて帰しました。国王以外の者が、中国に対し直に外交を試みると「人臣に外交なし」ということで拒絶されました。これが中国によって定められた、当時の国際関係の外交の姿でした。国王の使節と中国の皇帝の間での、朝貢品と回賜品との贈答関係を軸に、それに伴う商取引がある限度内で認められたのが「朝貢貿易」でした。

昨年に引き続き 村井章介先生に講演いただいた

 しかし、中国の明と周辺諸国との政治的な関係の「冊封関係や朝貢貿易」以外に、東アジア(中国・朝鮮半島・日本・南蛮等)の広い海域で自由に私貿易及び密貿易、海賊行為、民族交流など幅広く活躍する人々がいました。これを村井先生は「境界人(倭人・倭寇など)」と定義しました。その倭人とは、日本人ばかりでなく、国家を超えて中国人や朝鮮人、他の民族も含む多民族集団の人々のことを指しました。さらに倭寇(わこう)とは、13世紀から16世紀にかけて、朝鮮半島や中国大陸沿海部などで活動した、その多民族集団による海賊行為ないし密貿易を行う集団のことでした。彼らは日本のものとは異なる「倭服」を着て「倭語」を操る、民族を超えた集団であったといいます。

 これらの基礎知識を前提として、村井先生は、事例として「朝鮮王朝成宗(ソンジョン:1457~1495年)」が、薬材としての「胡椒の種」を手に入れるべくいろいろと模索した状況を、各種の古文書記録より、具体的にいろいろな人々(倭人群像等)がかかわった経緯を解説しました。当時の胡椒は、現代のような調味料ではなく、あくまで暑毒を治す薬剤として高価な価値がありました。胡椒は、シャム(南蛮)でしか産することができず、結局は朝鮮半島では、胡椒の種を植えて自国生産することができなかったのです。

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村井先生と新井先生のトークセッション

 講演後のトークセッションでは、コーディネーターの新井孝重先生(日本高麗浪漫学会会長・獨協大学名誉教授)のリードで、村井先生の講演内容をもとに多角的な話題が提供されました。胡椒の種の件ばかりでなく、当時の済州島や琉球の役割、航海を行う船の様相、銀生産と貿易、大内政弘(室町時代後期の武将)や大蔵経の件など、幅広く話題が展開され、興味が尽きませんでした。

コーディネーターの新井先生
村井先生

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 2026年度(2027年3月)の第9回高麗郡中世歴史講演会もぜひご参加ください。詳細が決まりましたら、ご案内いたします。

高麗1300  
日本高麗浪漫学会