【報 告】高麗福信と有力人物との関係を知る 第11回公開歴史講演会 7/25(土)
2026年7月25日(土)、日高市総合福祉センター「高麗の郷」研修室で、第11回高麗郡公開歴史講演会を開催したところ、猛暑のなか72名が参加しました。
今回の公開歴史講演会は、今年度が高麗郡建郡1310年記念の年であるため、高麗郡出身の偉人「高麗福信」をテーマ。今年3月に『高麗福信』(吉川弘文館)の著書を発行した、日本高麗浪漫学会副会長の荒井秀規先生(明治大学講師)が、「高麗福信のその活躍とさまざまな人間模様を考える!」と題して講演しました。
第1部の講演では、荒井先生が高麗福信に関わりのある主要な人物9名について、順次その関係と状況について話しました。まず、はじめに高麗福信の生涯とその一族について、略年表をみて簡単に説明しました。
福信は、和銅2年(709)に武蔵国(のちの高麗郡か)に生まれ、朝廷内で従三位まで出世し、延暦8年(789)10月8日に長寿の81歳で没しました。出世するにつれ、肖奈→肖奈公→肖奈王→高麗朝臣→高倉朝臣と、姓も変えていきました。関係ある主要な人物について、福信との関係などを詳しく解説しました。
・肖奈行文・・福信の叔父で、明経博士。福信が11歳頃、都へ連れていった。
・藤原仲麻呂・・仲麻呂は福信の3歳年上で、仲麻呂の乱(764)までは親しい関係で30年近い上司と部下の間柄にあった。
・聖武天皇 / 光明皇后・・聖武朝(724~749)は相撲ブーム(聖武天皇は相撲好き)であり、福信は相撲が巧みであったことから、出世のきっかけをつくり、聖武天皇の寵愛をうけて異例の出世をしていった
・阿倍内親王・・阿倍(718年誕生)は、聖武天皇と光明皇后の子で、その後孝謙天皇(在位749~758年)、称徳天皇(在位764~770年)となり、福信はその下で信頼を得て活躍した。
・吉備真備・・福信とともに阿倍(孝謙・称徳)に対して忠節を尽くすが、仲麻呂に遠ざけられる。しかし、764年の仲麻呂追討の総指揮をとる。
・坂上苅田麻呂・・橘奈良麻呂のクーデター(757)では、福信とともに仲麻呂より遠ざけられる。仲麻呂の乱のときに活躍。
・道鏡・・称徳天皇の寵愛を受け、僧侶にもかかわらず朝廷内で政治的な地位を得る。法王道鏡のために「法王宮職」が置かれるが、福信はその長官に任じられた。称徳天皇の崩御(770)後は、道鏡は失脚した。
・佐伯今毛人・・福信より10歳若く、聖武朝時は、福信の配下の正八位下の下級役人であった。しかし、その後出世を続け、桓武天皇時には、福信と並ぶ従三位となった。長岡京遷都(784)後は、福信を抜いて参議となり、正三位となる。福信とはライバル関係と考えられる。
・大伴家持・・光仁天皇崩御の時は、山作司の首席が従三位福信73歳で、次席が従三位の家持であった。
みな歴史教科書に登場する人物ばかりです。福信の立ち位置、また各々の人物との関わりが見えて、歴史の中で活躍していたことがよく理解できました。
第2部のトークセッションでは、コメンテーターに日本高麗浪漫学会の赤木隆幸研究員が加わり、日本高麗浪漫学会の中野高行副会長(大東文化大学講師)がコーディネートを務め、各人物と福信との関係について深掘りする論議が多角的に展開されました。会場の聴講者は熱心に聞き入っていました。
<予告>
第12回高麗郡建郡歴史シンポジウム
日時:2026年12月20日(日) 13:00~
会場:日高市総合福祉センター『高麗の郷』1F研修室
内容:武蔵国にあった多摩郡狛江郷と高麗郡について考察します。
詳細が決まり次第、ご案内いたします。
















