高麗浪漫学会通信  第9号 

高麗浪漫学会通信  第9号 

高麗浪漫学会通信  第9号                   2015年10月10日(土)

編集・発行 高麗浪漫学会
〒350-1231 埼玉県日高市鹿山283番地5(すみや電気2F)
TEL:042-978-7432 E-mail:info@komagun.jp

会員の皆様、お元気ですか。さて、現在、12月5日の「第3回高麗郡建郡1300年歴史シンポジウム」の準備を進めていますが、それと同時に『高麗郡歴史ミニガイド』小冊子(11月末発行:2000部:48ページ)の編集が進行中です。編集と執筆責任者は綿貫和美さんで、2年前に発行した『早わかり高麗郡入門Q&A』の姉妹編となるものです。12月5日の歴史シンポの当日、参加者へ無料配布する予定です。内容は、第1章:高麗郡の誕生(古代史を中心に)、第2章:その後の高麗郡(中世・近世の高麗郡)、第3章:今に残る高麗(高麗の名称・地名・高麗神社・勝楽寺・白髭神社・高麗三十三観音・特産など)など、今までより更に広い範囲の事項を考えています。どうぞお楽しみに!!

                     (高麗浪漫学会・事務局:山田英次)

《歴史コラム》 高麗人の足跡3 『新編武蔵風土記稿』にみえる高麗人の伝承

(高麗浪漫学会理事 赤木隆幸)

 『新編武蔵風土記稿』には、高麗人に関する伝承が記されています。『新編武蔵風土記稿』は江戸時代の文化・文政年間に編纂された地誌ですから、高麗郡建郡の霊亀2年(716)から1000年以上の開きがあり、よって高麗人に関する記述を全て史実として扱うことはできません。しかし、このような伝承は何かしらの所以があって出来上がったのでしょうから、一考してみる価値はあるでしょう。本稿では記事を抜粋して掲載するにとどめ、私見を呈することはいたしません。会員のみな様におかれましては、旧高麗郡地域にお住まいの方も多くおられることと思います。そこで、以下の記事を読まれて気づかれたこと、及びご意見・お考え等がございましたら、ご自由にご投稿いただきたく思います。重要なご投稿につきましては、厳選の上、本誌『高麗浪漫学会通信』に掲載させていただきます。

『新編武蔵風土記稿』巻176、高麗郡之一、総説
高麗郡は国の中央にあり。江戸より西北十余里なり。『倭名抄』に高麗を訓にて古末と註せり。郡名の起こりは『続日本紀』曰、元正天皇霊亀二年五月辛卯、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野七国の高麗人千七百九十九人を以て武蔵国に遷し、高麗郡を置くとあれば、是其初め高麗人の遷されたる者、今の高麗本郷或は新堀村・青木村のあたりに住て、夫より漸々草創せしことゝ見ゆ。青木村に住せる青木内蔵助が家譜に云、其先武石麻呂霊亀二年二月詔を蒙り、高麗人九百九十人を具して、丹波国より本郡に至り居住せし。その地を即ち青木村と名くとあり。按に武石麻呂の事蹟は『続紀』等には更に沙汰なき人なり。又云その時禁裡より賜はりしものとて、青木一名は鹿子木あり。今老幹となりて存せり。左すれば此青木と云るものも、霊亀の頃禁裡より賜ひしものといへば、千年の余を経たる木なり。かゝる古代の物今も存せりと云は、尤うけがたきことなり。殊に蚊子木と云るもの他国にもまゝありて、其形状も似たり。多く蚊の生ずる木なれば斯く云りと、是等の木なるも知べからず。かたゝゝ信じがたしといへど、土人の伝ふるまゝを姑く茲にのす。又新堀村聖天院の境内に、高麗王の館蹟及び墓碑等あり。その余大宮明神社伝等に委しければ推て知るべし。郡中の村里多くは白髭明神、又は大宮明神を祭り鎮守とするは、高麗王のことなる由。即ちこの新堀村より起りて郡中所々にあり。これぞ其始を欽慕するゆへなるべし。又古くより世に武蔵鐙と称するものあり。此処に遷されたる高麗人の造るところと云。『盛衰記』に畠山重忠小坪合戦の時、武蔵鐙を用ゆと云。今の世に五六鐙と称するものは、其遺製なるべし。(後略)

『新編武蔵風土記稿』巻177、高麗郡之二
〇唐竹村 唐竹村は郡の西にあり、加地領に属す。村名の起りをたづぬるに、土人の説に往昔この村に高麗より移したる竹あればとて、土人呼て唐竹村と云しとかや。惜むらくは今その種を失うことを。按ずるに郡中に竹を以て名づくる村には唐竹あり、曲竹あり、直竹あり。いかさまにも竹の所謂ありて名づけし村ならんか。其事蹟いま一つも詳なるものなし。(後略)

『新編武蔵風土記稿』巻179、高麗郡之四
〇青木村 (中略)
鹿子木〈内蔵助が屋後の北隅にあり。初この木を禁中より賜りしことは上にのす。寛永年中暴風のために吹おられ、その遺幹今存するもの高さ二丈余、囲一丈三尺許。漸々枯槁し、僅に三五枝を北の方に余して生色を含み、葉々扶疎たり。葉形は柳葉の樫に似て表青く裏白し。季春に花さく白くして小なり。木皮に斑文ありて麑(かのこ)に似たりと云つたへり。往時風折の幹は内蔵助が菩提所、宝蔵寺におさめ置しといへり〉
(中略)
旧家者内蔵助〈青木を氏とす。其遠祖を繹ぬるに、従二位前大納言武石麻呂、元正天皇の霊亀二年二月、高麗人九百九十人を禁庭より預り奉り、丹波国より当国に下り、此郡中に居住せしより高麗郡と号せり。その時禁中より鹿子木及び銀銭銅銭そこばくを賜はれり。其子孫青木式部大輔実近当国に於て、七荘を賜はり。当所泉ヶ城に居住せりと云。武器系図等も伝へたりしに、万治年中七太夫なるもの馬術に達せるをもて、中山備前守が家臣となりし時、かしこに持ゆきて、今内蔵助が家には、写の系図と古き鞍鐙鎗のみを伝へり。内蔵助が氏族十二軒あり。いかなる故にや、青木の家は正月松飾をせず。内蔵助及び弥惣次は、地頭より苗氏帯刀を許せりと云〉

『新編武蔵風土記稿』巻184、高麗郡之九
〇新堀村 新堀村は郡の中央より北寄にありて、北の方入間の郡界を距ること十八町許。高麗領高麗郷に属す。江戸より十三里の行程なり。伝へ云古へ紀州熊野より新堀氏の人、この地に来て草創せしゆへ、即ち村名となせり。今も村民に其氏族のもののこれり。
(中略)
大宮社〈別当本山修験、篠井村観音堂配下にて、高麗川清乗院大宮寺と号す。社伝に曰、元正天皇の御宇、霊亀二年高麗王を始として、千七百九十九人の高麗人当郡に来住し、土地をひらき耕作の業を営む。聖武天皇の天平二十年、高麗王薨ず。即ちその霊をまつり、高麗明神と崇む。またこれを大宮明神と称ふ。王薨ずる日鬚髪共に白し。仍て白髭明神とも祭しと云々。神体唐衣冠の坐像にて長一尺許、最古色の像なり。例祭三月十五日、流鏑馬神事及び大般若を転読す。九月十九日獅子舞祭事あり。当村及び高麗・本郷・高岡・横手・久保・台・梅原・栗坪等八ヶ村の産神なり。当社は鎮座以来今に至まで星霜千有余年なれば、その興廃しるべからず。又事実の伝へを失ひぬれば詳ならず。按ずるに『続日本紀』に従三位高倉朝臣福信は、武蔵国高麗郡の人なり。本姓背奈、其祖福徳、唐将李勣に属し、平壌城を抜き国家に来帰し、武蔵に居る。福信は即福徳の孫なり云々とあり。社伝に云高麗王とは福徳がことか。或は其子などなるも知べからず。別当大宮寺は高麗王の子孫にて、世々社司たりしに、延久四年園城寺行尊、回国の頃社司右京進が家に止宿し、其折柄の勤めに因て、竟に修験の道に入て名を麗純と改む。是より第六世永純が弟なるもの出家し慶弁と号す。下野国足利郷鶏足寺に住せしが、建暦元年より承久二年まで、十年の間心願にて一字三礼して、書写せし大般若経六百巻を当社に納めしより、例春三月転読を務と云。その後廿二世良道の時、東照宮当社の来因を聞し召し、天正十九年社領三石の御朱印を賜ふ。修験となりしより今の別当良純まで、すべて三十三世に及べり。社のうちに東照宮の御神体を安置したてまつる。
(中略)
高麗王居跡〈大宮明神社後の山上にあり。方一町余の平地なり。土人はこれを御殿跡と云ふ〉
(中略)
聖天院〈高麗山勝楽寺と号す。新義真言宗、山城国醍醐松橋無量寿院末なり。(後略)〉
(中略)
高麗王塔〈五輪にして墓石の四面に、仏像を刻したれど、石面分明ならず。惣高さ六尺五寸、基石方面一尺六寸五分。此石塔の前に池あり。闊さ十五歩許。土人高麗殿の池と云。又、それより少く東によりて井あり。径六尺許。これも高麗殿の井と称せり。
(中略)
〇栗坪村(中略)
神明社〈社地二十歩許の杉森にて畠中にあり。古此所に高麗王の後裔たるもの居住せし所と云へり。其名を伝へず。万福寺の持なりと云〉
(中略)
〇楡木村〈付持添新田〉楡木村は郡の中央より少しく東北よりにあり。高麗領高麗郷に属す。村内に旧家と称する農民四五軒あり。それが家にある楡木は、その類他になきものにて、村名もこれより起りしと。此農民等は古へ高麗王に陪従して、爰に移りしものゝ子孫なりと云伝れど、証とすべきことなし。(後略)〉

※〔原稿募集〕
投稿先:高麗浪漫学会事務局。形式:自由(原稿用紙等。ワープロ原稿の場合はA4用紙に印字、またはデータ送付。日本語)。投稿資格:高麗浪漫学会会員、高麗1300会員。締切:2016年5月16日。選考:原稿到着より随時。尚、内容は『新編武蔵風土記稿』に限りませんので、高麗郡や高句麗に関してお考えをお持ちの方、奮ってご応募ください。

《お知らせ・掲示板》
◆ 高句麗文化セミナー「高麗神社の文化財」を開催します!
・講師:竹村雅夫氏(一般社団法人日本甲冑武具研究保存会・専務理事)
・日時:2015年11月21日(土)午後2時~4時
・会場:日高市立高麗公民館(日高市栗坪92-2 西武「高麗駅」より徒歩20分)
・定員:60名(先着順)参加無料
第4回高麗王杯「馬射戲~MASAHI~」騎射競技大会(11月22日・23日)の一環として開催するセミナーです。ふだん聞くことのできない高麗神社所蔵の文化財について解説していただきます。