【報 告】入間川左岸の高麗郡建郡で開発された大規模集落跡を巡る 第16回歴史ウオーク 3/30(日)

【報 告】入間川左岸の高麗郡建郡で開発された大規模集落跡を巡る 第16回歴史ウオーク 3/30(日)

  高麗郡建郡1300年の歴史を歩こう!

  第16回高麗のふるさと歴史ウオーク

 3月30日(日)、前日の雨もすっかりあがり、朝から『春のウオーク日和』となりました。西武池袋線稲荷山公園駅前に集合。今回は45名が参加。うち9名の方が初参加、またいつもながら地元をはじめ都内や神奈川県からも参加してくださる方もいて、主催者としては大変ありがたく感謝の気持ちでいっぱいです。

 今回は、狭山市の入間川左岸に点在する古代遺跡から、竪穴住居の復元建物が展示されている「今宿遺跡」と、近年大規模集落跡が見つかった「鳥ノ上遺跡」を訪ねるのが目的。特に「鳥ノ上遺跡」では、昨年12月に遺跡調査発表会で講演いただいた狭山市教育委員会の三ツ木さんに現地で解説していただきます。途中には、狭山市立博物館の見学や延喜式内社の由緒ある広瀬神社や八幡神社を訪ねます。入間川右岸から左岸へ、再び左岸へ帰るという高低差45m、約10kmのコースです。

稲荷山公園駅前広場で準備体操
まずは、3分咲き?の稲荷山公園を歩く

 9:00、出発式(行程や注意事項の説明と準備体操)を終え稲荷山公園駅を出発、稲荷山公園内を抜けて狭山市立博物館へ向かいます。公園内のソメイヨシノは3分咲きといったところでしょうか。一足早いお花見気分で歩きます。ほどなく狭山市立博物館に到着。

市内で見つかったアケボノゾウの骨格が展示されている
今宿遺跡の竪穴住居復元模型

 これから向かう今宿遺跡などの展示を見学しました。展示コーナーでは尾澤館長が説明をしてくださいました。今宿遺跡の住居模型は、昭和45年に復元された竪穴住居跡のもので、老朽化のため令和6年3月に建て替えられた現在のものとは異なります。基本的な構造は変わりませんが、近年の研究から屋根の一部には土を葺いていたことがわかったそうで、外観は大きく異なるものとなりました。現地へ行った際にどのように違っているのかも見ることにしましょう。

時代ごとのわかりやすく展示されている
館長の尾澤栄一さん(右)
今宿遺跡の展示

 博物館をあとに、稲荷山公園を抜けて、次の目的地広瀬神社へ向かいます。稲荷山公園には古墳もあったそうですが、特に復元されておらずどこに古墳があったの残念ながらわかりません。公園では春の陽気に誘われて地元の皆さんが、ランニングしたり散歩したりして楽しんでいました。

博物館をあとに・・・
日が差してきた公園を歩く

 国道16号線を渡った先のコンビニで小休止したあと、入間川(広瀬橋)を渡り、広瀬神社に到着。境内の枝垂桜が丁度見ごろを迎えていました。総代長の山岸さんが出迎えてくださり、神社についてお話してくださいました。実は、当会会員で参加されていたFさんが広瀬神社の氏子であることから、山岸さんに伝えてくださっていました。

広瀬神社に到着
鳥居をくぐり参道を行く
氏子総代長の山岸さんが出迎えてくれました
氏子総代長の山岸金三さん

 皆さんに神社のリーフレットや地図をいただきました。広瀬神社の御祭神は若宇迦能売命(わかうかのめのみこと)で、10世紀前半の延喜式神名帳に記載されている由緒ある神社です。境内には枯れたケヤキの大木があり、永い年月を感じさせてくれます。なぜこの地にこのような神社があるのか、さまざまな想像が掻き立てられます。

きれいに管理された境内は清々しい

 山岸さんにお別れして、神社を出発、今度は入間川左岸の段丘を上ります。途中、先ほど渡ってきた広瀬橋からの道の上にかかる橋から眺めると、下に入間川が流れ、向こうには左岸の段丘上に稲荷山公園が見えます。右岸と左岸の段丘の急峻な地形がわかります。

入間川左岸の段丘上から右岸を望む

 住宅地の中を歩き今宿遺跡へ。ここは住宅団地の開発に伴う発掘調査が行われ、一部を公園として保存しています。整備された公園内には、住居跡がいくつか保存されていて、解説看板もあり歴史の勉強にはよい場所です。

公園として整備された「今宿遺跡」
皆さん、まずは復元建物へ

 そして、再整備された竪穴住居の復元建物が。上から2/3程が茶色く固められていて、これが土を葺いた部分を再現しています。残念ながら建物内は見られませんでしたが、参加者の皆さんは思い思いに建物を見たり、解説看板をじっくりと読んだりしていました。

最新の調査をもとに復元された竪穴住居(中には入ない)
復元された土葺きの屋根を観察する
今回参加された皆さん

 今宿遺跡から、昼食場所の智光山公園へ。

 智光山公園では、テニスに興じる人たちなどで、賑わっていました。幸い外で食べるには丁度良い陽気でした。

 昼食後、13時に智光山公園体育館前を出発、本日最後で一番の目的である遺跡へ向かいます。公園から畑を抜けて、県道397・堀兼根岸線へでて、左(堀兼方面)へ行くと、三叉路交差点に出ます。右角が「鳥之上公園」です。周辺一帯は狭山工業団地で、平成30年から2年間その拡張工事に伴う発掘調査が行われました。その一角が公園になっています。

狭山工業団地東端T字路交差点(右・飯能市方面)
工業団地の東端に整備された公園(発掘現場)

 公園に入ると、狭山市教育委員会社会教育課文化財担当の三ツ木康介さんが迎えてくれました。三ツ木さんは、昨年12月に開催した『高麗郡歴史公開特別講座 高麗郡及び周辺地域の古代遺跡調査発表会』で、「鳥ノ上遺跡」の発掘調査についてお話いただいたところです。発表会に参加された方には現地を確認する良い機会となりました。

天気に恵まれた「青空教室 in 鳥ノ上遺跡」

 地図や遺物を用意してくださり、さながら青空歴史講座といったところ。地図をみながら住居跡などを確認したり、黒色土器や甕、轡などの鉄製品をじっくりと観察したりしました。地図からは、鳥ノ上や午前中に訪ねた今宿の他にも、入間川左岸の段丘上に遺跡が点在していることがわかりました。入間川は暴れ川だったとの三ツ木さんの説明に、右岸から左岸へとここまで(河岸段丘を)歩いてきた皆さんは納得の様子でした。また鳥ノ上では、多くの竪穴住居跡や掘立柱建物跡がみつかったこと、高麗郡建郡時期に出現した集落であり、東金子窯跡群の操業と重なることなど説明がありました。

入間川河岸段丘沿いに点在する遺跡を地図で紹介
現地で解説してくださった、狭山市教育委員会の三ツ木さん

 皆さんは、三ツ木さんの話に耳を傾け、熱心に聞いていました。また、さまざまな質問も飛び交い、予定の時間を少し遅れての出発となりました。

発掘した現地で遺物を見ることは説得力絶大
鉄製のくつわ(馬具)
黒色土器
いくつもの壺も見つかった
遺物を一つ一つ説明する三ツ木さん
手に触れて遺物を観察

 ここからは、ゴールの狭山市駅へ向かいます。鳥ノ上遺跡から甲子(きのえね)坂を下り入間川へ出ます。河川敷のサイクリングロード(自転車・歩行者用)を歩き、入間川にこにこテラスで休憩しました。キッチンカーも数台出るなど、花見に訪れた家族連れやグループでとても賑わっていました。

入間川左岸の河川敷を歩く
川越狭山サイクリングロード(自転車・歩行者用)を歩く
入間川にこにこテラスは桜と土手の緑が彩鮮やか。沢山の人で賑わっていました

 新富士見橋で入間川右岸へ渡ります。急な石段を上り、入間川右岸の段丘上にある八幡神社で小休止。お参りしたり境内を散策したりしました。ここには芥川作家の津村節子さんの記念碑があります。戦時中の疎開で8年ほど狭山市に暮らしていました。その時の様子を題材にした小説「星祭りの町」の一説が刻まれています。

桜咲く八幡神社境内を散策する皆さん

 実は、当会大野松茂会長が発起人となり建立したもので、当日参加くださった横田さんもその実行委員のメンバー。

小説「星祭りの町」の一説が刻まれた記念碑
除幕式の様子(2021年4月3日)

 八幡神社境内で簡単な解散式を行い、狭山市駅へ向かいました。

西武新宿線「狭山市駅」西口

 前日に降った雨も止み、爽やかな朝を迎え、昼前には日差しもでて、寒くなく暑くなく、とても良い一日となりました。参加された皆さん、大変お疲れさまでした。

 次回第17回は、武蔵国の中心地、武蔵国分寺跡と武蔵国府跡を訪ねる予定です。詳細が確定しましたら、チラシやホームページでご案内いたします。

                     高麗1300