【報 告】今年度の高麗郡歴史講座 全日程終了

【報 告】今年度の高麗郡歴史講座 全日程終了

 今年で4年目の本講座も、お陰様で盛況のうちに終了しました。猛暑の中、会場まで通ってくださった皆様に感謝申し上げます。

 さて、今年の講座は、文献史学中心に組みました。また今回初めて、会場でもある高麗神社の歴史(高麗神社学芸員の横田先生)や、高麗氏からみる中世動乱期の様子(日本高麗浪漫学会会長の新井先生)をテーマに盛り込みました。古代史2講座、中世史1講座、近世史1講座となりました。

6月講座

『新羅郡建郡について』/『百済郡の建郡について』
 講師:中野高行先生(日本高麗浪漫学会副会長・大東文化大学講師)

6月講座の様子
中野高行先生

1日目は「新羅郡建郡について」。『続日本紀』の記述から3つの仮説を紹介した。また、新羅郡建郡の背景については、745年から飢饉や疫病の拡大で日本に逃れ大宰府館内に多数居留していた新羅人を東国へ移配させたのは、新羅討伐の準備が起因しているとする田中史生説を紹介した。最後に、新羅郡に関係する遺跡として、午王山遺跡や花ノ木遺跡について紹介した。

2日目は「百済郡建郡について」。百済郡設置の時期は不明ではあるが、白村江の戦ののちに百済貴族や避難民が三千人を超えたことから百済王直系の善光を彼らの上に置き統率と秩序化を図った(田中史生説)という。8世紀中葉から後半に百済王氏は摂津国百済郡から河内国交野郡に移して、河内百済寺(枚方市)を造営したことを解説した。

最後に、天皇陛下(今の上皇陛下)が、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であることに触れられた、平成13年のお誕生日に際して述べられたお言葉を紹介した。

7月講座

『江戸時代の高麗神社を高麗家文書から読み解く』
 講師:横田稔先生(高麗神社学芸員)

7月講座の様子
横田稔先生

1日目は、御朱印について解説。江戸幕府の将軍が領地を認めた朱印状のことで、将軍代替わりごとに先代までの朱印状を提出して検認を受けていたという。この朱印状改が大変だったそうで、高麗家文書から御朱印状を受けるための苦労を読み取った。また朱印状の現物も展示された。

2日目は、高麗家文書から大般若経、本山修験、補任状、大峰修行について解説した。特に高麗家55代当主の明純の熊野三山奉行、大峰修行(天保10年・1839)について、その修行の様子を日記から読み解いた。

9月講座

『「続日本紀」から高麗福信や武蔵国を読み解く』
 講師:赤木隆幸先生(日本高麗浪漫学会研究員)

9月講座の様子
赤木隆幸先生

1日目は、恵美押勝(藤原仲麻呂)の反乱(天平宝字八年・764)について、続日本紀から読み解いた。この反乱に高麗福信がどのように関わったかは不明だが、どのような時代だったか知ることできた。

2日目は、武蔵国の出来事を、「続日本紀」の記事から拾った。高麗郡建郡や新羅郡建郡の記事をはじめ、高麗福信の活躍、入間郡の正倉四宇が焼けた神火事件。武蔵国が東山道から東海道に変更されたことなどを読み解いた。

10月講座

『合戦と武士の苦悩』
 講師:新井孝重先生(日本高麗浪漫学会会長・獨協大学名誉教授)

10月講座の様子
新井孝重先生

1日目は「高麗行高遺戒の背景を考える」。高麗行高(高麗家32代当主)が、子孫に向けた『武士となって戦に関わってはならない。我家は修験なり』との遺戒から、合戦の過酷さを探った。軍功の認定のために敵将の頸を取ることや兵器の発達がもたらしたことなど、事例を交えて紹介。そして、戦争は採算に合わない、戦争に対する思惟について触れ、行高の思いを解いた。

2日目は「平和のための知恵」。菅浦惣庄合戦を事例にあげ、田畑の取り合いに村を挙げて争った様子が紹介された。また、八文字一揆や北白旗一揆などの『一揆』について解説、心を一つにして団結した共同体として自治によって平和を守る手段として広まっていった。最後に、大名の領地争いを禁じた豊臣秀吉の『惣無事令』によって、小田原北条氏は違反したために討伐されたことや、また260年に及ぶ徳川幕府にも引き継がれていった。中世ヨーロッパの王権と国民の関係との比較もされた。

 会場には、『太平記』の場面など、新井先生が自ら描いた絵画が飾られた。

 来年度(2025年度)も『高麗郡歴史講座』を開講する予定です。4月中頃には詳しくご案内いたします。募集が始まりましたらお早めにお申込みください。

お問い合わせは、高麗1300事務局まで