【報 告】海を渡ってつながる上総国と武蔵国 研修ツアー 11/6
2019年に上野国から始まった「渡来文化の歴史を巡る旅シリーズ 古代渡来文化遺跡を巡る日帰り研修(バス)ツアー」は、コロナ禍にもめげず今年で6回目、11月6日水曜日、東京湾を渡って『上総国』を訪ねました。
本企画は、716年に建郡された高麗郡に移住した東国七国(駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野)の古代渡来文化遺跡を訪ねようと、古代遺跡の宝庫・上野国を加えた八国を巡る「大人の修学旅行」? 目的は遺跡や博物館見学なので、サービスエリアや道の駅に立ち寄ってもトイレ休憩のみ。今回は、アクアラインでいざ上総国へ・・・
今回の目玉はふたつ。一つ目は、金鈴塚古墳(木更津市)の石棺に使われた石が『緑泥片岩』であり、埼玉県の荒川上流から運ばれたものであること。二つ目は、山倉1号墳(市原市)から出土した埴輪『筒袖人物埴輪』は、埼玉県鴻巣市の『生出塚(おいねづか)埴輪窯』で作られたものあること。古墳時代、上総国と武蔵国がつながっていたことに着目しました。当初、高麗郡・高句麗とのつながりから山武市の真行寺廃寺などを考えましたが、日帰りの限られた時間では難しくまた現地の見学も難しいことから断念しました。とはいえ、どちらも渡来人、渡来系のにおいはプンプン。そんな期待を抱いて『木更津市郷土博物館金のすず』『市原歴史博物館』『上総国分尼寺跡展示館』を訪ねました。
当日は、薄曇りのまずますの天気。朝7:10に高麗神社を出発、高麗川駅、坂戸駅で乗車、参加者34名を乗せて出発。途中、海ほたるでトイレ休憩。せっかく東京湾の真ん中に来たので、いそぎ最上階へ上がって写真を撮った人も?
まずは、「木更津市郷土博物館金のすず」へ。予定より10分ほど早く到着。とはいえ、博物館は大田山公園という高台にあり、しかも大型バスは上れません。公園下でバスを降りて徒歩で坂道を上り博物館へ。頂上には展望台もあり、360度見渡せます。
博物館では「金鈴塚古墳」を中心に見学しました。博物館職員の簑島さんが金鈴塚古墳の出土品などについて解説してくださいました。
金鈴塚古墳(旧二子塚古墳)は、昭和8年(1933)に調査が始まり、横穴式石室から金銅製の装飾品や馬具、鉄刀などが発見されました。昭和に入ってからの調査で金鈴が発見され(昭和25年)、金鈴塚古墳と名称が変更されました。
金鈴は5つあり、6世紀後半のものでほぼ純金。叩いて成形した鍛造だそう。そのほか金銅製の鈴も多数見つかっていますが、金鈴は唯一ここでしか出土していません。みなさん目の色を変えて見つめていました。
その他、全国で2番目の大きさの金銅製飾履は、埋葬目的に作られたものだそう。また装飾大刀も複数展示されており、獅噛環頭大刀(しがみかんとうたち)などは朝鮮半島由来のものとのことです。
金鈴塚古墳には、4人が埋葬されているそうで、その中にはヤマト王権の中でも相当な有力者がいたと考えられています。
そして石室。残念ながら古墳自体の見学はできませんが、縮尺模型が展示されています。埼玉県の秩父方面から運ばれた石棺の石。荒川を下り、東京湾を渡り船で運ばれた「緑泥片岩」。本物が見てみたいと、皆さん思ったに違いありません。
実は、さきたま古墳群にある「将軍山古墳」の石室の側石は『房州石』。なんと、木更津市の南、富津市付近で採掘されたものです。互いに石を都合するという上総国と武蔵国の関係がさらに気になります。
見学が終え、バスに乗り込み、昼食となりました。現地でお弁当を調達、車内で皆さん召し上がっていただきました。6回のツアーのうち、3回はバス車内で移動しながらの昼食です。これで昼食時間を取らずに時間が有効に使えます。とはいえ、30名を超える人数で利用できる飲食店が中々ないのも実情です。
13:10、市原歴史博物館に到着しました。市原歴史博物館は2022年11月にオープンしたばかりの素敵な博物館です。前衛的な?外観は、「いちはらの大地を表現」しているそうで、関東ローム層の赤褐色の地層を連想する土の塊をモチーフにしているとのこと。
館内に入ると、市原市文化財課の桜井さん、博物館の芝﨑さん、そして鷹野館長さんが迎えてくれました。鷹野館長は須田先生と旧知の仲だそう。館長自ら解説してくださいました。ここでの目玉は、今年度の特別展『旅するはにわ展』。実は、昨年秋に下見にお邪魔した際に、この特別展のお話を柴崎さんからお聞きしたのでした。まさにタイムリー!
特別展の会場に入ると、ずらりと埴輪が展示されていました。館長の説明を聞きながら進みます。
千葉県から茨城県にかけての埴輪(下総型)と、千葉県でも九十九里方面の山武郡周辺(山武型)の埴輪にそれぞれ違った特徴があるとのこと。さらに、市原市の山倉1号墳から出土した「筒袖人物埴輪」は、埼玉県鴻巣市の生出塚埴輪窯跡で焼かれたもので、行田市の坂巻14号墳や横浜市の北門1号墳で出土したものと大変よく似ています。高句麗の古墳壁画に筒袖の衣装を着た人物が描かれていることから、朝鮮半島から来た渡来人の姿を現しているとのこと。
展示の中で思わず見入ってしまったのが、埴輪の表面にある「ハケメ」(刷毛でできた模様)に着目のコーナー。埴輪を「ハケメ」で分類すると、山倉1号古墳の埴輪は13人の工人によってつくられたというのです。さらに『工人F』は、ほどんどの種類の埴輪を手掛け数も多かったという、まさにエース工人だったというのです。埴輪の「ハケメ」まで見るとは奥が深い!
館内見学のあと、博物館に隣接した「歴史体験館」へ。体育館のような大きな屋根が特徴の建物は、かつては全天候型のゲートボール場だったとか。山倉1号墳(5分の1)や発掘現場の再現、竪穴住居や昭和初期の納屋などが復元され、見学や体験ができる素敵な施設でした。
残念ながら見学時間が1時間少々、もっとゆったりと訪れたい博物館でした。
最後の訪問地「上総国分尼寺跡展示館」へ。市原歴史博物館から10分ほどの場所にあります。展示館では、上総国分寺と国分尼寺を紹介するビデオを見た後、ジオラマで当時の様子が自動音声が解説します。桜井さんの案内で、復元された見事な回廊や中門を巡りました。
予定通りにバスに乗り込み、埼玉へ・・・
車内では、須田勉先生(日本高麗浪漫学会顧問)が、金鈴塚古墳について補足の解説をしてくださいました。移動時間が長くて滞在時間が短い急ぎ旅でしたが、古墳時代における上総国と武蔵国の関係に益々興味が湧いてきました。古墳や出土品、埴輪から、地域を離れて権力者同士のつながりがあったのでしょうか。今回は、遠く感じていた上総国が身近に感じたツアーでした。
さて、次回は・・・目下検討中です。下総国か、駿河国は遠いし、上野国ももう一度行きたいですね。乞うご期待!