高麗浪漫学会通信  第15号

高麗浪漫学会通信  第15号

高麗浪漫学会通信  第15号           2017年1月27日

編集・発行 高麗浪漫学会  
〒350-1231 埼玉県日高市鹿山283番地5(すみや電気2F)
TEL:042-978-7432 E-mail:info@komagun.jp

昨年の2016年は、高麗郡建郡1300年の本番の年ということで様々な事業が行われました。市民大学や公開歴史講演会、福信シンポジウム、渡来人の里フォーラム、高麗郡1300年歴史シンポジウム、渡来文化サミット、高麗郡関連講演会、歴史ミニガイド(改訂版)発行、東アジア高句麗史跡マップの製作などの他、埼玉県博や飯能郷土館で高麗郡の特別展が開催され、大変多くの参加者を集めました。
参加された方々から、「引き続き高麗郡に関する歴史研究イベントは開催していただきたい」との声
が聞かれました。当浪漫学会としても、今後は「今までの発表成果のエキスを書籍としてまとめることや、さらなる研究課題を深め展開していく活動、会員向けの歴史学習など」を考えています。2月に企画運営委員会を開催し、2017年度以降の具体的な事業内容を決定し、会員の皆様へお知らせしていきたいと思っています。事業に対する要望があれば事務局までご連絡いただければ大変ありがたいです。
 引き続き高麗浪漫学会にご参加いただき、応援していただければと存じます。
(高麗浪漫学会事務局:山田英次)

《歴史コラム》 高麗人の足跡8 『新撰姓氏録』にみえる高句麗系氏族(その3)
(高麗浪漫学会理事 赤木隆幸)
 今号では、引き続き『新選姓氏録』の山城国諸蕃条、大和国諸蕃条を掲載いたします。
『新撰姓氏録』山城国諸蕃条
  高麗
  黄文連(きぶみのむらじ)。高麗国の人、久斯祁(くしき)王(おう)より出(い)づ。
  桑原史(くわはらのふひと)。狛国の人、漢(かん)胸(きょう)より出づ。
  高井造(たかいのみやつこ)。高麗(こまの)国主(こにきし)、鄒牟(すむ)王(おう)の廿世孫、汝安祁(じょあんき)王(おう)より出づ。
  狛造(こまのみやつこ)。高麗(こまの)国主(こにきし)、夫連(ふれん)王(おう)より出づ。
  八坂造(やさかのみやつこ)。狛国の人、之留川麻乃(しるつまの)意(い)利(り)佐(さ)より出づ。
『新撰姓氏録』大和国諸蕃条
 高麗
 日置造(へきのみやつこ)。高麗国の人、伊利須使(いりすお)主(み)より出(い)づ。
 鳥井宿禰(とりいのすくね)。日置造と同じき祖(おや)。伊利須使主の後(すえ)なり。
 栄井宿禰(さかいのすくね)。日置造と同じき祖。伊利須使主の男(こ)、麻弖(まての)臣(おみ)の後なり。
 吉井宿禰(よしいのすくね)。日置造と同じき祖。伊利須使主の後なり。
 和造(やまとのみやつこ)。日置造と同じき祖。伊利須使主の後なり。
 日置倉人(へきのくらひと)。日置造と同じき祖。伊利須使主の兄(え)、許(こ)呂使(ろお)主(み)の後なり。
 ※詳しくは、佐伯有清『新撰姓氏録の研究』考證篇第五(吉川弘文館、1983年)を参照ください。

<高麗郡飯能町から始まった武州世直し一揆>
武州世直し一揆とは
慶応2年(1866) 6月13日夕刻、秩父郡上名栗村で「武州世直し一揆」が動き始めます。名栗谷、吾野谷、成木谷から押し出した一揆勢は6月14日早朝、高麗郡飯能町飯能河原に集結しました。その数数千。またたく間に飯能町の穀屋4軒を打ちこわし、勢いを得た一揆勢は、扇町屋、所沢と打ち出し、わずか7日間で東は中山道、南は多摩川、北は岩鼻、西は秩父と、関東各地に広がりました。この一揆は民衆が米の安売りや・施金・施米・質地証文・借金証文の廃棄を求めて各地で豪農や豪商の家などを打ちこわし世均し・世直しを実現させることをめざしたのです。しかし体制を整えた幕府軍、各藩兵、農兵隊などの強力な武力をもって鎮圧され多数の死傷者を出しました。打ちこわしが行われた村は202ヵ村、参加・結集した民衆は10万人余にのぼったといわれています。江戸近郊村で起きた一揆の中では最大のもので、幕藩体制に与えた衝撃は大きく、その瓦解を早めた要因の一つとなった出来事でした。
武州世直し一揆150周年 
一方で、この「武州世直し一揆」は、150年たった今、震源地となった飯能においてさえ、地元の人たちにその内容は詳しく伝えられていません。むしろしばらく前までは、名栗や「秩父」の暴徒が引き起こした大規模な暴動事件として認識され、地元の秘すべき不名誉な歴史とさえ見做されてきました。
昨年(2016) は武州世直し一揆勃発150周年に当たりました。顕彰運動の一環として6月に飯能市・市民活動センターにて開催した「説経節と講演の集い」は、主催者の予想を大幅に超える250名の参加を得ました。来場者は東久留米、青梅や所沢、川越、さいたま、深谷、秩父など飯能・日高以外から来た方も多く、参加の動機として挙げられたのが、150年前の「打ちこわし」について、実際のところ何が起こっていたのか知りたかったからというもので、もっと詳しく知りたい、資料が欲しい、という声が多数聞かれました。
そこで、一揆研究の第一人者を招いて行った2回の講演記録(5月の大舘右記先生、6月の森安彦先生)と補足資料、関東各地に拡大した一揆の足跡を画像で訪ねる「目で見る武州世直し一揆」、中学生向けの授業資料などを収録した入門書『語り継ぎたい「武州世直し一揆」の真実』を作成し、昨年12月に刊行しました。幸いにも発刊1ヶ月で3刷という大きな反響をいただいております。(詳しくは別紙チラシをご覧ください。)
同時に、顕彰運動の中核を担う「『武州世直し一揆』の会」を結成しました。研究・学習活動だけでなく、フィールドワーク、ウオーキング、小中高生や若者たちへの働きかけ、ガイドブックや地図の作成などを構想しています。1月28日には第1回目の活動として、武州世直し一揆発端の地:飯能市名栗地区(一揆頭領と考えられている紋次郎、豊五郎の足跡と正覚寺)と青梅市成木地区(一揆の頭領の悪惣こと喜左衛門の足跡)のフィールドワークを行いました。お問い合わせは以下までお願いいたします。
連絡先:小俣洋一郎(電話・ファックス042-971-3638 携帯080-3479-3638)高麗浪漫学会会員