【報 告】相模国に高麗王若光の伝承を訪ねる 研修ツアー 10/12
2019年に上野国から始まった「渡来文化の歴史を巡る旅シリーズ 古代渡来文化遺跡を巡る日帰り研修(バス)ツアー」は今年で5回目、10月12日木曜日、相模国を訪ねました。
本企画は、716年に建郡された高麗郡に移住してきた東国七国(駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野)の古代渡来文化遺跡を訪ねようと、古代遺跡の宝庫・上野国を加えた八国を巡る、言わば「大人の修学旅行」? 目的は遺跡見学なので、道の駅に立ち寄ってもトイレ休憩のみ。果たして今回の研修ツアーは・・・
今回の一番の目的は、高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)の伝説、伝承が息づく場所を訪ねること。若光が海からやってきたという大磯町。そしてかつては高麗神社と称されていたい高来神社があり、後ろにそびえる高麗山の頂には高麗寺がありました。そこから北上して大山の麓、日向薬師の入り口には、若光を讃えて建てられた日向(白髯)神社があります。そして最後に海老名市にある相模国分寺跡を見学します。
当日は、絶好の研修日和となりました。7:05に高麗神社を出て、高麗川駅、坂戸駅を経て相模国へ。大磯駅に立ち寄り3名乗車を得て、30名全員揃いました! 今回の企画にお骨折りいただいた日本高麗浪漫学会の荒井副会長も合流。荒井先生には道中車内にて資料をみながらこれから訪ねる場所について解説していただきました。
まずは、大磯町郷土資料館。旧吉田茂邸がある神奈川県立大磯城山公園の一角にあり、旧三井家の別荘「城山荘」の建物をモチーフにしています。館内に入ると、学芸員の富田さんが一つ一つ丁寧に解説してくださいました。
目を引いたのは、大磯町の御船祭の展示の「明神丸」と「木遣り歌」。ただし、その内容から高麗王若光につながるような展示はありません。具体的な史実とは違い、伝説や伝承の扱いは難しいと感じています。木遣り歌の歌詞が若光の伝承の源となっています。隔年で7月に開催されます。来年7月は開催の年、実際のお祭りを見に来たいですね。御船祭で木遣り歌を歌うのは福田さん。高麗神社でも2016年に奉納されました。
もう一つ。平成12年(2000)、高来神社社殿の東にある御輿堂から見つかった神像11躯のうちの3躯が展示されています。鎌倉時代に製作された全国的にも大変珍しく貴重なもので、神奈川県重要文化財に指定されています。残念ながら写真撮影がNGでしたのでご紹介できません。ぜひ直接訪ねてご覧になってみてください。
大磯町の歴史が丁寧に展示されています。古くから多くの有力者が好んだ海を臨む温暖で穏やかな大磯が、古代から中世、近代、近世、現代と歴史を紡いてきたことがよくわかりました。
続いて、高来神社にやってきました。高麗山の麓にある高来神社は、かつては高麗寺を別当寺とする神仏習合の寺社でした。鎌倉時代には僧房が24か所あったそうです。明治に入って廃仏毀釈により高麗神社だけが残り、さらに1897年、高麗郡廃止の翌年に高来神社に改名されました。
最初に訪ねた資料館に展示されていた「明神丸」の御船祭は、高来神社の夏の祭礼です。木遣り歌には、高句麗からの高麗大明神「高麗王若光」が大磯に上陸したこと歌われています。
高来神社の渡辺幸臣宮司さんが出迎えてくださり、神社の歴史についてお話してくださいました。
創建は神武天皇の時代、また安閑天皇の時代に応神天皇と神功皇后が合祀されたこと、高麗権現社は神功皇后の三韓征伐に由来することなど話されました。
社殿には、渡来人とおぼしき人物が描かれた絵馬が飾られています。渡辺宮司さんによれば、神社と渡来人との関係を示唆するものはこの絵馬だけとのことでした。
多くの伝承が残り、源頼朝や後北条氏、徳川家康からも厚い信仰を集めた神社であることがわかりました。
高来神社をあとに、車内でお弁当を食べながら、日向(白髯)神社へ向かいました。何しろ、大型バスで30人からの昼食場所となると、なかなか見つかりません。今回は、移動しながらの車内で昼食となりました。
日向神社は、かつては白髯神社でした。なんと御祭神は高麗王若光! 神社に到着すると永井宮司さんと氏子の皆さんが出迎えてくださいました。永井宮司さんは高麗宮司と同級生だったそう。今回の研修ツアーの話を聞いて、ひと山越えてわざわざ来て下さいました。
8世紀に、日向薬師を開いた行基に、協力を惜しまなかった渡来人高麗王若光を讃えて創建されたとあります。昭和8年に白髯神社から日向神社にかわりました。また、前を流れる日向川は、今は相模川にそそがれていますが、かつては花水川に流れていたそうです。花水川は高麗山、高来神社の脇を流れています。大磯から花水川を遡った地がこの日向だということを知り「なるほど」と合点がいきました。
せっかくここまで来ては、日向薬師にお参りせずには帰れません。薬師様の参道を上り、お参りすることができました。
最後に訪ねたのは、海老名市にある相模国分寺跡です。七重塔の基壇が復元されるなど、広々とした場所が、近所の子供たちの遊び場所になっています。出土品などを展示する「温故館」が併設されています。二班に別れて見学しました。海老名市教育委員会の郷土資料館長でもある文化財担当課長の押方さんに解説していただきました。「温故館」には、相模国分寺の史料だけでなく、海老名市の貴重な史料も多く展示されています。中でも、秋葉山古墳群は弥生時代末期から古墳時代初期に造られた古墳が並びます。時代によって古墳それぞれの特徴が見て取れます。そして、相模国分寺の瓦や土器などを見学しました。須恵器の展示を見ていると、日本高麗浪漫学会の加藤先生が「これは南比企だね」。
また、国分寺跡を見学。伽藍配置が奈良の法隆寺と同じであることなど興味深い見学となりました。
そして、バスへの乗車場所も考慮に入れて、海老名中央公園にある七重塔モニュメントに向かいました。ここは、高麗王・若光ウオークのゴールとスタートの場所にもなっています。最後の記念写真を撮ってバスに乗り込み、武蔵国高麗郡へ。
相模国は、高麗郡と高麗王若光の伝承でつながっています。実際はどうなのか?史実は?伝承もまた大切にして、地域と地域の交流が図れればよいのではないかと思っております。皆さんお疲れさまでした。
さて、来年の研修ツアーは、千葉県へ。上総国を訪ねる予定です。古墳時代には武蔵国と深いつながりがあったようです。そして古代の東海道は東京湾を船で渡っていました。私たちは海底トンネルと橋(アクアライン)で渡りますよ~ お楽しみに~