【報 告】高麗郡の歴史がつなぐ日韓交流Ⅱ 韓国の高句麗研究者一行が高麗郡の遺跡や高麗神社を巡る  2/22

【報 告】高麗郡の歴史がつなぐ日韓交流Ⅱ 韓国の高句麗研究者一行が高麗郡の遺跡や高麗神社を巡る  2/22

 2024年2月22日(木)、韓国の高句麗の研究者や専門家7名が、旧高麗郡の飯能市と日高市を訪れました。当日は当会がアテンドし、飯能市立博物館をはじめ古代高麗郡の遺跡を巡り、最後に高麗神社を訪問しました。

 訪れたのは、高麗大学の崔鍾澤(チェ チョンテク)教授、蔚山大学の全虎兌(チョン ホタ)教授、高麗大学の金容澈(キム ヨンチェル)教授と、高麗大学の博士研究生の文活藍(ムン ファルラム)さん、金秀賓(キム スビン)さん、全彗典(チョン ヘジョン)さん、画廊を運営する李蓮淑(イ ヨンスク)さんの7名。

 崔先生は、アチャ山堡塁などの高句麗遺跡の発掘調査をしてきた考古学者。全先生と金先生は、高句麗古墳壁画の専門家という高句麗の歴史研究者。また文さんはかつて東京藝術大学へ留学していた高句麗壁画の復元を手掛ける美術作家、李さんは高句麗にまつわる美術作品を展示する画廊を経営しています。また金さんは、早稲田大学への留学経験がある高句麗の装飾品の研究者で、2016年に高麗神社で催されたサムルノリを取材に訪れているそうです。全さんは、全先生の娘さんで、とても素敵なイラスト画家です。

 李さんが「高麗神社を訪ねてみたい」と言ったのがきっかけだそう。実は、今回の訪問は昨年12月に『韓国の高句麗研究者が、高麗神社や高麗郡の遺跡を見学したい』と、当会へ複数の人を介して打診があったのが始まり。当会としては、発足以来10年を経てはじめての韓国の歴史専門家による来訪となりました。

高麗郡について説明(飯能市立博物館)

 当日は、朝から時折小雨が降るあいにくの天気のなか、飯能市内のホテルから一行を迎え、まず飯能市立博物館へ。日本高麗浪漫学会のメンバーでもある飯能市教育委員会の富元久美子さんが、飯能市内の遺跡について地図や資料をもとに説明しました。特に『なぜここに高麗郡がつくられたのか』について質疑もありとても盛り上がりました。また館内の展示も見学、2時間余りの時間を割いて高麗郡の歴史に触れていただきました。その後、張摩久保遺跡(飯能市平松付近)をバス車内から見学し、昼食場所のサイボクへ。

大寺廃寺を見学

 昼食後、拾石・王神遺跡(日高市高萩)をまわり、大寺廃寺(日高市山根)へ。ここでは、今も残る礎石を中心に、建物跡や出土瓦について日本高麗浪漫学会の須田勉会長が説明。全先生の「なぜ高麗郡には同時期に寺院が三つもあったのか」との問いに「それぞれ役割があった」「それだけ仏教への信仰が厚かったのではないか」などと答えていました。崔先生はさすが考古学者とあって、資料の地図をもとに建物の位置などを詳しく確認していました。

須田会長が三つの寺の瓦について説明

 つづいて、日高市高麗公民館へ。日高市教育委員会文化財室の松本尚也さんらの計らいで、高麗郡3廃寺の瓦など遺物を見学することができました。残念ながら高麗郡からは、高句麗につながる遺物などはあまり発掘されていません。そんな中でも、瓦の文様から高句麗由来であるものもわずかながら発見されていると、須田会長が実物を手に取り説明(写真)すると、韓国の先生方はうなずいていました。

 

 最後に、高麗神社へ。高麗文康宮司が高麗神社の由来などを話しました。全先生から自ら書した掛け軸が贈られ、また文さんからは高句麗壁画の復元模写の絵が贈られました。

全先生は直筆の書を寄贈
文さんは、高句麗壁画の復元模写の額を寄贈

 高麗1300の大野松茂会長は「会を長く続けているとこうしたうれしい交流もある」と感慨深げに話し、日本高麗浪漫学会の須田会長は「高麗郡研究も韓国との学術的な交流が始まることに期待したい」と抱負を語りました。崔先生は、「今日はとても有意義な一日で、収穫も多くあった。ぜひ高麗大学に来ていただきたい」と、高句麗と高麗郡のつながりを実感した様子でした。

韓国からのお客様と、とても有意義な一日となりました

 当会では、2016年に行った高句麗ゆかりの地を巡る韓国の旅で、崔先生が発掘した「アチャ山4号堡塁」を訪れています。また、3人の先生方は、渡来文化大賞選考委員(副委員長)を務めていただいている早乙女雅博先生(東京大学名誉教授)と旧友ということもあり、より交流が深まることができました。

 今後は、高句麗の歴史を通して、学術的交流も図れて行けたらと考えています。

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当日は、埼玉新聞に取材いただきました。

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