【報 告】高麗郡建郡前後の遺跡を訪ねて、小畔川を歩く 【再】第13回歴史ウオーク 3/17
【再】第13回高麗のふるさと歴史ウオークは、3月17日(日)に実施しました。当日の天気はまずまず。穏やかな春の日ざしを浴びて、小畔川沿いの風景を楽しみながら歩くことができました。前後の週末の天気が悪かったので、終わってみれば、まさにラッキーな一日となりました。
※昨年、雨のため中止した企画ゆえ、【再】と付けております。
今回のコースは、716年に入間郡の一部を割いてつくられた「高麗郡」の建郡前後の遺跡を小畔川沿いに辿りました。
集合は、東武東上線「霞ヶ関駅・北口」です。この駅は、これまでスタートやゴールでたびたび利用してきていますが、何といってもこの一帯が『霞ヶ関遺跡』なんです。入間郡家(役所)跡といわれている重要な遺跡です。
今回は、42名が参加、日高市や川越市など地元はもとより、県内各地、東京都や神奈川県からも参加してくださいました。ありがとうございました。
9:00に駅をスタート。まずは、川越市の伊勢原地内にある「おなぼり山公園」へ。ここは「東山道武蔵路」の遺構が確認された場所です。早速、日本高麗浪漫学会研究員の加藤恭朗先生が解説してくださいました。さらに、同研究員で飯能市教育委員会の富元久美子先生も、周辺の遺跡との関連も含めて説明されました。
御伊勢塚公園で休憩をとると、こんもりした丘が古墳であることに気づきました。ここ一帯にはいくつか古墳が見つかっているとのことで、今回の訪問地には入れていませんでしたが、思わず古墳に触れることができました。
「御伊勢塚公園」から、小畔川を遡ります。春の爽やかな風の中川沿いを歩くと、川越市と日高市の市境付近に通る圏央道が見えてきました。小畔川に架かる橋付近は『光山・上猿ケ谷戸遺跡』。圏央道を造る時の発掘調査で見つかった遺跡です。高麗郡建郡時期より少し前の竪穴式住居跡や掘立柱建物跡が多数見つかっています。大きな建物跡や馬具や倉庫の鍵も見つかっています。小畔川沿いに、霞ヶ関郡家から5~6キロの位置にあることから、加藤先生が「高麗郡建郡に向けた拠点」ではないかとの説明がありました。さらに小畔川を上ると、高麗郡家跡と推定されている遺跡があるのです。
ここからは日高市。正面に日和田山を見ながら、小畔川沿いを歩いていきます。国道407号線を横断すると、『拾石・王神・堀ノ内遺跡』があります。特に拾石遺跡からは、当時の役人が使用する遺物が見つかっていることから、加藤先生によれば「郡役所または役人の住居などがあったのではないか」との話でした。加藤先生や富元先生の話をじっくり聞き、時に質問をするなどいつもながら参加者の皆さんの熱心さに敬服しています。
髙萩北公民館の庭で昼食をとった後、日高高校前の『王神遺跡』へ。道路を挟んで、住居跡が多数見つかっています。この一帯は郡役所とともに大規模な集落があったのではないかと考えられます。
しばらくは小畔川と少し離れますが、のどかな里山風景を見ながら歩きます。途中、住居跡などが点在する「大黒ケ谷戸遺跡」などを通りながら、再び小畔川の上流「四反田堀」沿いを歩きます。日高市生涯学習センターで休憩し、JR八高線下をくぐるり14:40頃に、高麗川駅へ到着しました。
参加いただいた皆様、お疲れさまでした。
今回は、入間郡の中につくられた高麗郡の開発が、小畔川沿いに上流へと進む様子を遺跡をたよりに辿りました。大きな川ではありませんが、小畔川が重要な役割を果たしていたことがわかりました。
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さて、次回の高麗のふるさと歴史ウオークは、秋に開催します。令和4年に国指定史跡に指定された「毛呂山町の鎌倉街道遺構」を中心に歩きたいと考えております。鎌倉街道沿いには古墳群もあり、古代から中世の遺跡を巡ることができます。ぜひお楽しみに!
※企画がまとまり次第、ご案内いたします。