【報 告】三つの廃寺を巡り、当時の信仰心に思いを馳せる 第14回歴史ウオーク 12/3(日)

【報 告】三つの廃寺を巡り、当時の信仰心に思いを馳せる 第14回歴史ウオーク 12/3(日)

 第14回高麗のふるさと歴史ウオークは、12月3日(日)に実施しました。当日は、まさにウオーク日和、初冬の日差しが暖かく、穏やかな一日となりました。途中までもしくは途中からの参加者も含めて、35名が高麗の郷を歩きました。

 朝8:30から受付開始でしたが、集合場所の「武蔵高萩駅あさひ口」には、既に数名の方が到着していました。準備体操を済ませ、9:00に出発。今回の訪問先では、日本高麗浪漫学会会長の須田勉先生に歴史解説をしていただきました。須田先生の解説を現地に立って聞くことで、三つの廃寺の特徴や性格についてさらに理解が深まりました。

出発前に記念写真(途中参加の方すみません)

 まず、駅前から北上し、小畔川へ。ここ一帯には拾石・王神・堀ノ内遺跡がひろがります。とはいえ、どこを見渡しても住宅地。早速、須田先生の解説を聞きながら、想像を膨らませます。遺跡からは、掘立柱建物や竪穴式住居跡が多数見つかり、遺物からは、役人が使用する「丸鞆(まるとも)」や「巡方(じゅんぽう)」といったベルトの飾りや「鳥形硯」などが出土しています。それらのことから、ここには役所、つまり「高麗郡家」があったと推定されています。

まずは、小畔川。上流の先に日和田山
川を挟んで遺跡が広がる

 続いて、川越日高県道沿いに出ました。馬頭観音が防火用水槽の上に立っています。ここにある大きな石が、この近くにあった「女影廃寺」の建物の礎石であると考えられています。荒廃してしまった寺の礎石を、後の人々が別の使い道をしていたのですね。

川越日高県道沿いの馬頭観音
右下の大きな石が礎石か
須田先生の説明に耳を傾ける

 女影交差点を渡り、霞野神社へ来ました。ここで、女影廃寺について須田先生が詳しく解説してくださいました。実は、まだ廃寺の場所は特定できていません。周辺から大量の瓦が見つかったことから、古代寺院があったであろうと考えられています。須田先生によれは、この寺を「高麗寺」、つまり郡寺であったと。出土した瓦の文様について詳しく解説してくださいました。最初に訪れた「高麗郡家跡」から直線で約1kmほどであることからも確証的であると考えられます。また、地元の参加者の方から「女影には窯もあった」と。私(筆者)も聞いたことはあるのですが、今は藪の中。調査が進めば女影廃寺との関係も分かってくるかもしれませんね。

霞野神社で女影廃寺を解説
須田先生の解説はとてもわかりやすい

 ところで、霞野神社の前には、鎌倉街道上道が通り、近くには「女影古戦場跡」があります。中世の舞台にもなった場所です。

 霞野神社から出発地「武蔵高萩駅」へ戻り、電車で「高麗川駅」へ。実は、三廃寺を一日で巡ることは「女影廃寺」と他の二廃寺が離れていることから、これまで躊躇していました。今回、電車移動することで、何とか巡れるようにと考えた次第です。健脚の方は、歩いて廻ることも十分可能です。ぜひチャレンジしてみてください。大体17キロくらいかな・・・

今回のコース(電子地図25000・国土地理院・無断で二次利用禁止)

 高麗川駅から、野々宮神社を経て、聖天院へ。ここには高麗王廟があります。高麗王若光の墓といっても亡骸はここにはありません。鎌倉時代以降に建てられたものです。ここで、須田先生に「高岡廃寺」の解説をしていただきました。実は、高岡廃寺は現在ゴルフ場フェアウェーの中。山のけもの道を上っていくと「この先(ゴルフ場)に高岡廃寺跡がある」との看板が立っています。流石に皆でそこまで行ってみても仕方ないので、高岡廃寺ののちの寺院が今の聖天院勝楽寺であるとのことから、ここでお話いただきました。須田先生によれば、遺跡からは高句麗や渤海に多く見られる墓の形がみてとれることから、渡来系の人物の「墳墓」であろうと。そして可能性としては僧・勝楽ではないかとのこと。高麗神社の高麗氏系図に記された内容からも間違いないであろうとのことでした。まさに「聖天院勝楽寺」と、寺院の名前になっています。

高麗王廟前で
「墳墓」について解説
熱心に聞き入る

 高麗神社で昼食や見学ののち、いよいよ丘陵ハイキングコースへと入っていきます。途中白銀平展望台から関東平野を眺め、約2時間かけて「大寺廃寺」へ到着。

 早速須田先生に解説していただきました。大寺廃寺は、日高市と毛呂山町に跨っています。一部の建物は、礎石がそのままむき出しに残っていて、当時を偲ばせてくれます。解説板もあり、三廃寺の中で唯一現地ではっきりと確認できる遺跡です。須田先生は、資料を見ながら見つかった建物について説明しました。出土瓦などから、女影廃寺とほぼ同時期に建てられた、僧侶が修行するための寺院であろうとのことでした。

大寺廃寺には詳しい解説板が建てられている
須田先生の話を聞く
資料を見ながら一つ一つ確認
足元には、今も礎石が並んでいる

 これまで、女影、高岡、大寺の三つの古代寺院の性格は、詳しく解説されてきませんでしたが、日本高麗浪漫学会の10年に及ぶ活動の中から、はっきりと解ってきました。9月の高麗郡歴史講座で、須田先生が講義の中で詳しく解説されていましたが、今回はそれぞれの現地まで歩き、現地を見ることで、よりはっきりと理解することができました。参加された皆さんいかがでしたでしょうか? 古代高麗郡三廃寺、なお一層注目していきましょう!

******************************

 さて、次回の高麗のふるさと歴史ウオークは、2023年3月に雨で中止した「高麗郡建郡の足跡を訪ねて ―入間郡家から小畔川を遡る編―」を予定しています。入間郡家から高麗郡家を歩きます。春の小畔川を、道中桜も楽しみながら歩きましょう。

小畔川(川越市伊勢原付近)
小畔川(川越市笠幡付近)
小畔川(日高市高萩付近)

<第13回(再)高麗のふるさと歴史ウオーク>
日時:2024年3月下旬の日曜日 9:00~15:30(予定)
コース:東武東上線「霞ヶ関駅」(霞ヶ関遺跡・入間郡家跡)~おなぼり山公園(東山道武蔵路跡)~光山・上猿ケ谷戸遺跡~拾石・王神・堀ノ内遺跡(推定・高麗郡家跡)~大黒ケ谷戸・稲荷遺跡~JR高麗川駅(約12km) ★主に小畔川を遡るコースです。

※日程が確定次第、ご案内いたします。