【報 告】中世鎌倉街道や宿(しゅく)の役割から、当時の人々の在り様が見えてきた 第6回注せ歴史講演会 3/23

【報 告】中世鎌倉街道や宿(しゅく)の役割から、当時の人々の在り様が見えてきた 第6回注せ歴史講演会 3/23

 2024年3月23日(土)、日高市総合福祉センター『高麗の郷』研修室で、第6回高麗郡中世歴史講演会を開催しました。今回は、120名を超える事前申込を受け、当日は111名の参加がありました。毛呂山町の鎌倉街道上道が国指定史跡になったことや、NHK大河ドラマ『鎌倉殿13人』の放送があったことなどから、多くの関心を得ていることが伺えました。

 

日高市は中世の鎌倉街道が通り、女影古戦場もあり、且つ高麗氏が活躍した中世史の宝庫の地でもあります。日高市との高麗郡1300年記念事業の共同事業「市民大学」でも、高麗郡の中世史について取り上げ、やはり大変好評を博しました。そこで今回は、東京大学名誉教授の榎原雅治先生をお招きし、「中世の鎌倉街道と宿の役割」と題して講演いただきました。

会場の様子

 講演会に先立ち、主催者から、高麗1300会長の大野松茂ならびに副会長の高麗文康が挨拶しました。

高麗1300 大野松茂会長
高麗1300 高麗文康副会長

 まず、講演前の事前解説として、毛呂山町歴史民俗資料館の佐藤春生副館長より『令和4年11月に国史跡となった、『毛呂山町の鎌倉街道上道の遺跡群について』の概要を説明していただきました。とくにその理由について「鎌倉街道の遺構が良好に保存されているだけでなく、中世の交通遺跡と宿場跡や、中世墓(中世寺院跡)、境界(古墳群)という4つの構成要素が一体的な空間としてまとまっているため」と説明。大変貴重で重要な遺跡であることがわかりました。

まずは、鎌倉街道上道についての事前解説
毛呂山町歴史民俗資料館 佐藤春生副館長

 つづいての講演では、演題「鎌倉街道上道と宿」と題して、榎原雅治先生(東京大学名誉教授)が、とくに日高市の女影宿の存在を、1335年(建武2)7月の女影ヶ原合戦の史料を踏まえて話されました。「女影宿というものは中世史料には登場しないが、中世の合戦は宿がしばしば戦いの舞台となった」との解釈で、その存在の確実性を推測されました。

講演「鎌倉街道上道と宿」
東京大学名誉教授 榎原雅治先生

さらに「宿がなぜ合戦での争奪の的になったのか」を、その施設(寺院・馬・倉など)の有り様から説明され、そのあとさらに詳しく宿の規模や構造について解説しました。特に、『宿の入り口には、必ず阿弥陀堂と薬師堂の二つが配置されている』との話は、参加者の興味を誘っていました。

スライドと手元の資料を見ながら講演を聞く

 恒例の講演後のトークセッションでは、コーディネーターの新井孝重先生(獨協大学名誉教授)とコメンテーターの佐藤春生先生を交え、『中世の鎌倉街道と宿の役割 その実態を語る』というテーマで、多角的に話題を展開されました。特に『死者を弔う時宗の僧侶の役割と実態』についての話は、参加者の皆さんが関心を寄せた様子でした。

恒例のトークセッション
熱心に聞き入る参加者の皆さん
新井孝重先
榎原雅治先生
佐藤春生副館長

 先生方の話から、鎌倉街道と宿の存在を通して中世の人々のさまざま姿を思い描けたのではないでしょうか。皆さん最後まで熱心に聴講し、興味が尽きない様子でした。

会場は最後まで熱気に包まれた

 今回は、会場内に新井孝重先生が描いた『夏の女影宿 女影合戦』、『秋の鎌倉街道 堀ノ内遺跡から』の絵画を展示、休憩時間には参加者の皆さんが見入っていました。絵画から、当時の様子をより鮮明に想像することができます。

女影合戦や高萩の様子は興味深い
新井孝重先生が描いた絵画を展示

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7高麗1300では、毎年3月に「高麗郡中世歴史講演会」を開催しています。また、年間通じては、高麗郡建郡を中心にした古代史や渡来文化に関する講演会やシンポジウム、現地見学会などを実施しています。ぜひ私たちとともに、地域の歴史を探ってみませんか? 常時会員募集中です。ご興味をお持ちの方は事務局までお問い合わせください。