馬文化の歴史をひもとく講演会

馬文化の歴史をひもとく講演会

新たな見地から馬具の変遷を追う

片山寛明氏講演会の概要

馬射戲(マサヒ)騎射競技大会が開催された11月24日、高麗神社では「高句麗文化セミナー・馬文化歴史講演会」が開かれました。講師は、滋賀県甲賀市にあるMIHO MUSEUM学芸部長の片山寛明氏です。「『延喜式』記載の馬寮鞍と移鞍」のテーマで講演しました。今回は、その内容をまとめて紹介します。

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講演する片山寛明氏

<内容>
今まで、有職故実の研究では現存する資料を分析して、各時代における馬具の形態や機能を明らかにしてきた。これに対し、まず10世紀に成立した律令の根本資料『延喜式』を読みこなす作業が必要である。『延喜式』馬寮の項目には、朝廷が製作する馬具のリストと材料や工人に関する記述がある。それらは架空の資料ではなく、実際の馬具製作の平均値を表していると思われ、鞍橋類は相対的な比較ができる可能性がある。その数値の傾向を眺めると、正倉院に保管される馬具の傾向に近い。正倉院の鞍は、律令の規定に沿ったものといえる。
移鞍の実物は平安期に登場するが、『延喜式』には詳細が記されていない。つまり、10世紀には由来等が不明になったことを表すので、古文書の「移文」から名付けられたという説は再考の余地がある。移鞍は、和鞍の特徴を持ちながら前輪・後輪を厚くして居木を隠すなど、見た目を唐鞍の形態に似せようとしている。唐鞍は外国人が使用するものと定められており、それ以外の鞍は国内の皇族・貴族らが利用することになる。形式だけ類似すればよいのならば、移鞍は唐鞍を模倣しながら中身は古来の製作方法をとっていることになる。それならば、「うつしぐら」は「移鞍」ではなく「写鞍」であり、『延喜式』作成時期までに意味が失われたのであろう。
このように仮定すると、律令制下に制作された正倉院の鞍と、著名な神社に保管されている移鞍との関係が明確になる。馬寮に所属する工人集団は、古墳時代以来の技術を伝承しており、連綿と馬具を製作してきた。それが唐で使用される馬具の製作を命じられたが、その方法に統一されることはなかった。工人たちは、唐の基準による鞍は必要最低限しか製作せず、それ以外は従来の構造で製作しようとした。このように考えれば、古墳時代・奈良時代・平安時代の鞍製作に流れる技術の変遷を想定することができるだろう。

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参加者は馬具の歴史について興味深く聞き入っていた

<まとめ>
片山氏の講演では、まず素材として『延喜式』を具体的に分析したこと、正倉院の鞍を一般事例として扱うことなどが特徴的なものだった。考古学の分野では、古墳時代の馬具を綿密に調査して多くの成果をあげたが、資料は海外から持ち込まれたか、国内の特別な製作品という前提から論を組み立てるため、古墳時代以降の工人にまで考察が及ぶことはない。
有職故実研究や工芸史研究は、考古学の方法論に近く、実際の資料を調査しているが、時代的特徴像から大きく飛躍することはなかった。居木の形態変遷を模倣という観点で追うことはなかったと思われる。また、製作技術が高いことは確かだが、研究者は無意識に工人が臨機応変に対応していると思いがちである。今回の講演は、技術力と工人の製作意識はリンクするわけではないことが指摘されており、技術の評価だけでは全体が見えないと理解できる。