歴史見学会「大磯町・御船祭り」

歴史見学会「大磯町・御船祭り」

7月20日(日)に、高麗郡建郡1300年記念事業委員会の大野松茂会長、高麗浪漫学会の高橋一夫会長以下メンバー有志が、大磯町の御船祭り(注1)を見学した。

御船祭りの船形の山車(マツリブネ)

御船祭りの船形の山車(マツリブネ)

御船祭り

御船祭り

 

 

 

 

 

 

 

 

高麗人が上陸した地とされる大磯の、御船祭りの中で「高麗」を意識できたのは、半被姿に見かけた「高麗神社」の文字と、高麗権現の渡来や千手観音が海中から見つかったことを伝える舟唄と木遣り唄の歌詞の中であった。

「高麗山」という山の名前、住居表示にある「神奈川県中郡大磯町高麗」(注2)にも渡来人が大磯から上陸した痕跡を見ることができる。

高麗の地名

高麗の地名

郷土資料館で説明を聞くメンバー

郷土資料館で説明を聞くメンバー

 

県立大磯城山公園内の大磯町郷土資料館(元三井総本家の別荘「城山荘」の意匠を取り入れた建物)では、富田三紗子学芸員から大磯町の歴史などの説明を受け、地域の特徴を学んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後にタクシーで高麗山の麓にある高来神社(注3)に行って、高麗をしのび、平塚駅で散会した。

高来神社

高来神社

(注)は大磯町郷土資料館資料より抜粋

(注1) ~御船祭の由来~

昔々、大磯浦の漁夫「蛸之丞」 ( たこのじょう ) が海へ漁に出ると、海の中から光が発し、波間から一匹のタコが現れました。そのタコは船に上がると不思議と光輝く千手観音に姿を変え、高麗寺に奉納されました。その由来に基づき祭りが行われています。 祭りは毎年行われていますが、偶数年毎に2艘の船形の山車(マツリブネ)が町内を曳かれます。そして、高麗権現や千手観音が海中から引き揚げられた由来を伝える船歌や木遣唄が歌われます。

 

高麗神社碑

高麗神社碑

 

 

(注2)高麗寺村は、高麗寺が徳川氏から高100石の朱印地(寺領)として与えられた村です。大磯の周辺では、鎌倉の寺院を除いて100石の寺領を持った寺社は、相模国一の宮の寒川神社(寒川町)、遊行寺(ゆぎょうじ)として知られている時宗総本山の清浄光寺(しょうじようこうじ)(藤沢市)、大山参りで有名な大山寺(伊勢原市)のみであり、高麗寺はこれらの寺社と同等の格を持っていたと言えます。また、寺領が一つの村をつくっていたことも特徴です。