【報告】第3回 高麗郡建郡1300年歴史シンポジウム
平成27年12月5日(土)、日高市文化体育館ひだかアリーナにおいて、「第3回高麗郡建郡1300年歴史シンポジウム」が開催されました。
今回のテーマは、「武蔵国における高麗人と新羅人 ~渡来人の動向から高麗郡建郡の謎に迫る!~」ということで、4人の先生がたにご講演いただきました。
まず、なす風土記の丘資料館の眞保昌弘氏は、「考古資料からみた下毛野国の新羅人」という題目で、那須国造碑、侍塚古墳群、那須官衙遺跡、浄法寺廃寺跡、西下谷田遺跡、下野薬師寺跡などを説明され、下毛野国の地域性や新羅人との関係性を示された。また、東国への渡来人配置を、下毛野国に隣接する常陸国や陸奥国との関係を踏まえて、日本型華夷思想や対蝦夷政策という視点で説明された。
次に、日本大学の中村順昭氏は、「高麗福信と武蔵国」という題目で、高麗郡出身の高官、高麗福信の経歴を示され、福信が武蔵国守であったときに建てられた新羅郡について説明された。また、新羅郡建郡前後における対新羅政策や、高麗郡建郡との比較において、新羅郡建郡は新羅人の集住ではなく、新羅郡という名称にこそ主眼がおかれたものであったと結論づけられた。
次に、(公財)埼玉県埋蔵文化財調査事業団の赤熊浩一氏は、「武蔵国の鉄生産技術と渡来人」という題目で、まず長方形箱型炉や半地下式竪型炉など鉄生産方式を示されるとともに、武蔵国の鉄生産遺跡(寄居町箱石遺跡、伊奈町大山遺跡、ふじみ野市東台遺跡)の分布と概要を説明された。また、新羅を中心とした朝鮮半島における鉄生産遺跡の分布と概要を提示され、半地下式竪型炉は半島系の半地下式円形炉の影響を受けたもので、武蔵国など東国を中心に普及したと推察された。
最後に、文部科学省の鈴木正信氏は、「高麗郡建郡と大神朝臣狛麻呂」という題目で、先行研究を踏まえ、高麗郡建郡当時に武蔵国守であった大神朝臣狛麻呂の高麗郡建郡政策にかかわる影響性を検証された。また、大神朝臣狛麻呂の母体である大神朝臣氏や、同族の三輪引田君氏および三輪引田君難波麻呂の事歴(とくに高句麗との外交、高句麗遺民引率の可能性など)を示され、外交や渡来人政策で重要な位置にあったことを説明され、大神朝臣狛麻呂は高麗郡建郡に一定の役割を果たしたであろうと推察された。さらに、「□□〔高麗ヵ〕若光」とある藤原宮跡出土木簡を提示され、高麗若光は藤原京に所在したとして、建郡時に高麗若光が高麗郡に移住したとする説は再検討する必要があると述べられた。
4名の講演後、元明治大学講師で本会理事の荒井秀規氏を司会として、ディスカッションが行われた。ヤマト王権による渡来人の東国移配策のなかでの下野国と武蔵国の相違、製鉄や土器生産と新羅郡・高麗郡、高麗福信と高麗王若光の関係などが取り上げられて、相互の講演内容の比較が行われた。
なお、会場は県内外から参加した700名の方々でほぼ満席となり、みなさん熱心に聞き入っておりました。