高麗浪漫学会通信  第10号 

高麗浪漫学会通信  第10号 

高麗浪漫学会通信  第10号             2016年1月13日
編集・発行 高麗浪漫学会
〒350-1231 埼玉県日高市鹿山283番地5(すみや電気2F)
TEL:042-978-7432 E-mail:info@komagun.jp

「本年は、いよいよ祝高麗郡建郡1300年!」
(高麗浪漫学会会長 高橋一夫)

会員のみなさん、明けましておめでとうございます。今年は高麗郡建郡1300年という記念すべき年です。建郡1300年事業や会の運営にさらなるご協力をたまわりますようお願い申し上げます。

さて、昨年の11月29日に日高市主催の「高麗郡から多胡郡へ」のバスツアーに参加し、日本三古碑(群馬・多胡碑、栃木・那須国造碑、宮城・多賀城碑)の一つであるの多胡碑に四十数年ぶりに対面しました。周辺はすっかり様変わりしていましたが、うれしいことに多胡碑・山上碑・金井沢碑の上野三碑は、多民族共生社会の証として世界記憶遺産候補に選定されました。

多胡碑には多胡郡建郡の由来が書かれていますが、多胡郡周辺は古墳時代以降、朝鮮半島からの多くの渡来人が居住し、彼らの文化や技術が地域社会の発展に大きく寄与しました。こうした功績によって多胡郡が建郡されたのでしょう。多胡郡は在地の人々と渡来人が共生していた地に郡か建てられたわけですが、これと正反対なのが高麗郡で、無人の地に建郡されました。こうした両郡のその後の様相も気になるところですが、高麗人も周辺地域の人びとと共生していたことは明らかです。

最近、多胡碑の500mほど南で多胡郡衙の正倉と考えられる遺構が発見されました。残念ながら高麗郡ではまだ郡衙跡は検出されていませんが、発見される日も近いとの予感がしてなりません。また、建郡の由来などが書かれた碑が出土することも夢見ていますが、正夢になってほしいものです。

ところで、昨年の12月5日に開催された「高麗郡1300年歴史シンポジウム」では、700人もの方々の参加をいただきました。このことは高麗建郡への関心や会への期待の高さの表れと思われますので、こうした期待に応えるためにも高麗郡の研究をより深め、今年もまた魅力あるシンポジウムを開催したいと考えています。
最後に、皆さんのご健勝とご活躍を祈念申し上げます。
《歴史コラム》 高麗人の足跡4 もうひとつの「こま」神社 (河内国)
(高麗浪漫学会理事 赤木隆幸)
神奈川県大磯町には高麗山があり、その麓には日高市の高麗神社と同じ名前をもつ高麗神社(こまじんじゃ・現在の高来神社)がありました。「高麗大神和光」を大磯の聳峰に移し奉るという伝承(『筥根山縁起』)があり、この「和光」を「若光」とみる説もあって非常に興味深いのですが、実はこのほかにも「こまじんじゃ」と称する神社が2つあります。一つは静岡県掛川市にある「高麗神社」で、これは永徳元年(1381)に海上が光って南風が吹き起り、人々が不審に思って見に行くと、それは高麗(こうらい)で兵武神として崇敬されていた韓神であったという由緒をもつものです。よってこれは14世紀のことですから、古代の高麗人とは無関係ということになります。もう一つは、大阪府八尾市久宝寺にある「許麻神社(こまじんじゃ)」です。

高麗浪漫学会通信10(許麻神社) (480x640)

許麻神社

この許麻神社は、延喜式内社で(河内国)渋川郡六座の一つとして「許麻神社」と記されています。現在の祭神は牛頭天王・高麗王霊神・素盞嗚命・許麻大神となっていまして、社記によると、この地は古く巨麻荘(こまのしょう)といい、河内国諸蕃の大狛連(おおこまのむらじ)の住地で、その祖神を祀ったとされています。ここでいう河内国諸蕃とは、『新撰姓氏録』の河内国の諸蕃条、つまり渡来系氏族の項目のことで、『新撰姓氏録』河内国諸蕃・高麗条には、「大狛連。高麗国の人、伊利斯沙礼斯(いりしされし)より出づ」、「大狛連。高麗国の溢士福貴王(いりしふくきおう)より出づ」とあり、大狛連氏の祖先が高句麗の人であったと記されています。また、『日本書紀』天武10年4月庚戌条に「大狛造百枝(おおこまのみやつこももえ)・足坏(あしつき)に、姓を賜いて連と曰ふ」とあり、『続日本紀』霊亀元年7月壬辰条には「授刀舎人(たちはきのとねり)狛造千金(こまのみやつこちかね)に、改めて大狛連を賜ふ」とあることから、大狛連のもとの姓(かばね)は大狛造、もしくは狛造だったことになります。
さらに、許麻神社のある渋川郡は若江郡に隣接していて、『倭名類聚抄』によると若江郡には「巨麻(こま)」郷があったようです。また、渋川郡の東側(奈良方面)には大県郡(おおかたぐん)があり、そこにも「巨麻」郷があったとされ、『延喜式』神名上には、大県郡十一社の一つとして「大狛神社」と記されています。この大狛神社もまた現存していて、『信貴山縁起絵巻』で有名な信貴山(しぎさん)の近くにあるようです。
これら「巨麻」という地名は、やはり大狛連氏や高麗人に因んだもので、許麻神社の周辺には嘗て高麗人が住んでいたと推測されます。688年の高句麗滅亡後、日本に渡ってきた高麗人たちは、一時的には縁故を頼って、河内国の渋川郡・若江郡・大県郡などに住んでいたのでしょうか。高句麗滅亡後、日本に渡って来た高麗人たちが最初にどこに住んだのかよくわかりませんが、考古遺物などに武蔵国高麗郡との関係性や類似性がみつかると面白いですよね。そのほか「こま」という地名が残る地域についても、引き続き調査していきたいと思います。
《旅の報告》 「古代飛鳥・歴史探訪の旅」           (高麗1300事務局)

平成27年12月16日(水)から18日(金)にかけて、明日香村へ研修旅行に行ってまいりました。参加者は高麗1300の大野松茂理事長をはじめとした計8名でした。
16日の正午すぎに近鉄橿原神宮前駅に到着した我々は、まず明日香村役場におもむき、村長の森川裕一さんと面談しました。森川村長から、景観を重視した政策や文化財保護、および明日香村の人口問題やこれからの展望などについてお話しいただきました。そのあと、明日香村教育委員会の長谷川透さんから、スライドをもとに「飛鳥の渡来文化」という題目でご講演いただきました。『日本書紀』における渡来人の飛鳥居住や渡来系氏族の関連記事とともに、渡来人の関わりが窺える明日香村の遺跡や出土遺物についてご説明いただきました。
明日香村役場をあとにした我々は、岡寺に参詣し、日本最大の塑像を拝見しました。さらに、石舞台古墳へ行き、巨石で組まれた石室を見学しました。宿泊地の祝戸荘では、夕食(古代米を使用した古代料理)後に高麗浪漫学会の赤木理事から古代飛鳥に存在した大寺院「山田寺」について特別講義がありました。

高麗浪漫学会通信10(飛鳥寺)

飛鳥寺

2日目の17日は、まず飛鳥板蓋宮跡を見学し、そのあと亀形石造物と酒船石を見ました。そのあと、飛鳥寺を訪問し、植島寶照住職から飛鳥寺や飛鳥大仏についてのご高説を賜り、飛鳥大仏の前で記念撮影を行いました。さらに、境内に残る古代伽藍の礎石や、蘇我入鹿の首塚、槻の広場推定地の発掘現場などを見学しました。そこから、『延喜式』に神名を載せる飛鳥坐神社を参拝し、飛鳥資料館へ。飛鳥資料館では、昨夜の講義にあった山田寺の展示などを見学しました。とくに、数間分(すうけんぶん)がそっくり出土した山田寺の回廊の復元模型は非常に興味深く、みなさん熱心に見入っておられました。また、飛鳥資料館からさらに数百メートル坂を上っていくと山田 寺跡がありまして、実際にその広大な敷地を体感されて、みなさん驚かれていました。

昼食のあとは、甘樫の丘に登りました。甘樫の丘からは奈良盆地が一望でき、大和三山や藤原京跡、及びそれらと飛鳥との位置関係を確認しました。そのあと、天武持統天皇合葬陵を見て、高松塚古墳を見学しました。途中、キトラ古墳の横を通り、車窓から公園整備の状況を拝見しました。キトラ古墳の資料館は来年オープンするそうです。どちらの古墳にも四神図が描かれており、朝鮮半島の壁画古墳との類似性があって、高麗郡関係者としては関心の深いところだと思います。

そのあと、ユーモラスな亀石を見て、聖徳太子縁の橘寺、および斉明天皇縁の川原寺跡を見学し、万葉文化館へ。ここには飛鳥池遺跡の一部がそっくりそのまま保存されています。飛鳥池遺跡からは、工房跡や多くの木簡が発見され、なかでも富本銭や「天皇」と記された木簡は古代史を考える上で非常に重要なものとなっています。
この日の夕食は、牛乳ベースのだし汁で鶏肉や野菜を煮込んだ明日香村名物の飛鳥鍋でした。ご飯は古代米の赤米でした。ちなみに前日の夕飯には古代のチーズとも称される酪蘇が出ました。

最終日は、明日香村に別れを告げて、橿原市にある橿原考古学研究所付属博物館を見学しました。ここには縄文時代から中世にいたる奈良県内出土の遺物が展示されています。日高市在住の小澤政子さんは埼玉県の北部出身だそうで、展示された木簡の中に「无耶志国仲評中里布奈大贄一斗五升」(武蔵国那珂郡那珂郷鮒大贄一斗五升)と記されたものを見つけて感激・感涙されていました。1300年も前に、自分の生まれ故郷と奈良の都と結びつきがあったと知って、きっと感慨深いものがあったのでしょう。とても微笑ましい光景でした。

そのあと、神武天皇を祀る橿原神宮(来年は神武天皇即位紀元2600年)を参拝し、久米寺に立ち寄って、帰宅の途につきました。観光シーズンから外れていたため観光客が少なく、全体的にひっそりとした明日香村でしたが、そのぶん見学地のひとつひとつを落ち着いてゆっくり回ることができました。参加者全員が満足し、非常に有意義な旅であったと思います。

《お知らせ・掲示板》
◆『高麗郡歴史ミニガイド』小冊子を発刊!・・・早わかりシリーズの「高麗郡入門Q&A」の姉妹編として、12月3日に『高麗郡歴史ミニガイド』を「高麗郡1300年歴史シンポジウム」用配布資料として作成しました。内容は古代史ばかりでなく、中世・近世・高麗三十三観音や高麗郡にまつわる話題など幅広い内容となっています。会員の皆様には、1月に配布する予定でいます。