高麗郡建郡1300年

高麗郡建郡1300年

高麗郡って何?

霊亀2年(716年)5月16日に現在の埼玉県日高市と飯能市を中心に設置された郡です。
その後、郡域が拡大し、鶴ヶ島市全域、川越市、入間市、狭山市の一部まで含まれるようになりました。
高麗郡には高麗人(こまひと)1799人が移住しました。初代郡司は『高麗王若光』でした。

 

高麗人って何?


高麗人の「高麗(こま)」は前37年頃~668年まで主に朝鮮半島北部から中国東北部にかけて繁栄した「高句麗(こうくり)」のことを指します。日本では高句麗を「高麗」と記し「こま」と称しました。高句麗滅亡前後、多くの高句麗人が海を渡り日本へ渡来しました。日本では高句麗からわたってきた人々を「高麗人=こまひと」と呼んでいたのです。

 

高麗人は何をしたの?


高麗郡に移住した高麗人たちは、以前は東国7ヶ国(駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野)に住んでいました。現在の県名でいえば、静岡、山梨、神奈川、千葉、茨城、栃木となります。大和朝廷は入間郡の一部に広がっていた空閑地を高麗郡とし、高麗人1799人が移住しました。彼らは生活の基盤を整えつつ、郡役所の建設、道路の敷設など郡として必要な整備をしたと思われます。

 

高麗人たちの文化は残っているの?

高麗郡初代郡司の高麗王若光が没した後、高麗郡の住民が若光の御霊を祀るために建立した高麗神社、僧勝楽が若光の菩提を弔うために建立を発願した高麗山聖天院勝楽寺が日高市新堀に存在しています。その他にも、日高市と飯能市を中心に高麗郡建郡当初のものと思われる遺跡や遺物が発掘されています。