【詳報】里中満智子さん『歴史をみつめる楽しさを』・・・第13回渡来人の里フォーラム
第13回渡来人の里フォーラム「古代歴史ロマンで地域づくり」が6月19日㊐、日高市文化体育館ひだかアリーナで開催されました。講師はマンガ家・里中満智子さん。高麗郡建郡1300年事業の応援大使です。
・・・リポート:綿貫和美・(一社)高麗1300広報・編集担当
里中さんへの関心は高く、開催日の数週間前から、日高市役所や高麗1300事務局には問い合わせの電話が殺到。当日は、開始時刻の1時間以上前から入場待ちの行列ができるほどでした。
最初に、1300年前の日本はどんな状況だったのかを、高麗浪漫学会の高橋一夫会長が解説。里中さんの講演を聞くうえでの基礎知識となりました。
そしていよいよ里中さんが登壇。「背の高い方なのね」「知的な雰囲気ね」と、期待に満ちたうれしそうな声が聴講席から漏れ聞こえていました。
講演テーマは「古代女性天皇と渡来人」。里中さんは、持統天皇という女性を描いた大作『天上の虹』を30年以上かけて描き上げています。
里中さんは、日本人の特性について語ります。「古代、日本古来の神道と、新しく朝鮮半島からもたらされた仏教とでせめぎあいが起きましたが、いつしか神と仏が仲良く共存するという不思議な現象が生まれました。今私たちは年末にクリスマスを祝い、大みそかは寺へ行き、新年は神社で初もうでをします。そんな光景を見ると私はほっとします。〝なんでもありの日本〟。これは非常にステキなことです。一方を選んだらもう一方は排除するというのではなく、いいものは共存していいのではという考え方が表れているように思うのです」
そして1300年前の高麗郡建郡の時代背景を語ります。
「持統天皇の少し前の時代、日本は、百済再興のために大軍で唐・新羅連合軍に挑み、壊滅しました。次は唐が日本に襲ってくるかもしれないという恐怖に襲われながら、日本は存続をかけ、急ピッチで国づくりを進めます。その中でより必要とされたのが渡来人の技術と力、知識。当時多くの渡来人が国難を逃れてきていました。ともに必死になって国づくりに邁進し、持統天皇の代になってようやく歴史書がほぼまとまり、701年大宝律令を発布し、都(藤原京)が完成し、独立国家としての基盤が築かれました。そして怖がっていた唐へ、遣唐使を再開するのです」
「この後、国内では反乱が起きますが、そんな中、朝廷は高句麗や新羅から来ていた人たちに建郡を認めました。他国の人がまとまってコミュニティをつくり、それを郡として認め、住むことを許可して応援するということは大変な決断だったと思います。何らかの危険分子にならないという保証はないからです。中央政府は渡来人に、本当の意味で(唐に対して)運命共同体として頑張っていこうという信頼の証を見せたのだと思います」
一般の人たちは国の政策にどう対応したのか、お話は続きます。
「当時を考えると、なんと平和的に穏やかに、かつ確実に建郡が行われたのだろうと感動せずにはいられません。これは受け入れる側も来た人も、お互いに努力し分かり合おうというおおらかな気持ちがないと、このような形にはならなかったでしょう。中でも高麗郡は実に歴史がはっきりしています。ここには象徴的に高麗神社があり、〝心の芯〟としてあり続けたということは非常に大きいと思います。当主も最初から代々ずっとつながっているということにも感動します」
最後に、これからの子どもたちに伝えたいことについて。「他者を受け入れる、あるいは他者の輪の中に入るとき、何が必要でしょうか。それはお互いに興味と好奇心を抱き、〝へぇ、そうなんだ〟と思うこと。こんな考え方はなじめない、近づきたくない、これではお互いに恐怖心と疑いが生まれます。日本人は、同化する、なじむ、認め合うことで、表面上大きな争いはなくやってきたということに改めて学んで、誇りにすべきだと思います。そして、ここ高麗はそういう土地だった、受け入れた土地でもあり、来た人が頑張って開いた土地でもある。これが今後の国際社会においてもずっと通用する人間としての基本のあり方だと思っています。自分たちが培ってきたものを見つめて大切に語りつぎ、実感を継いでいく。私もその実感を少しでも味わいたい。これからも高麗郡のあり方について一緒に学んでいきたい」と締めくくりました。
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アトラクション
高麗美舞体操「高麗の舞」 ・・・女子栄養大学実践運動方法学研究室
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第2部はトークセッションが行われました。パネリストは里中さん、高橋会長、谷ケ﨑照雄・日高市長、大野松茂・高麗1300理事長の4人。コーディネーターは高麗文康・高麗浪漫学会副会長・高麗神社宮司です。
里中さんは「あの時代はこうだったと決めつけてはだめ。自分がその時代に生きていたらと考えるのです」と。高橋会長は、「小さなことがつながって、やがて大きな歴史につながる。高麗郡を掘り下げてゆくと新しい視点が生まれる」と、それぞれ歴史のとらえ方を指南。また大野理事長が「里中さんのお話の中で、高麗郡建郡時の元正天皇(持統天皇の孫)が、日高市と同じ読み方の〝氷高(ひだか)〟皇女と呼ばれていた偶然に感激しました」と語ると、会場から大きな拍手が沸き起こりました。谷ケ﨑市長は「自分のふるさとの歴史を語れる子を育てたい。1300年
記念事業の取り組みそのものが、東アジアや世界へ向けての平和のメッセージです」と力強く語りました。最後に里中さんが、「歴史をみつめる楽しさを感じて」と来場者に訴えました。「古代歴史ロマンで地域づくり」をテーマに行われた第2部。4人のパネラーがまとまりのある意見を繰り広げ、笑いに包まれた、意義深いトークセッションとなりました。
埼玉新聞記事(2016年6月22日付)「平和的移住に学ぼう」漫画家里中さん講演