【報告】第4回高麗郡建郡1300年歴史シンポジウム開催

【報告】第4回高麗郡建郡1300年歴史シンポジウム開催

~高麗郡建郡1300年記念事業~
第4回高麗郡建郡1300年歴史シンポジウム
~ここまでわかった高麗郡建郡の謎!~

日時: 平成28年 (2016年)12月18日(日)13:00~ 16:30
場所: 日高市文化体育館ひだかアリーナ

第1部 講演発表
◆「東アジアからみた高麗郡建郡の背景」
講師:柿沼 亮介 (早稲田大学高等学院教諭)
◆ 「武蔵高麗寺・山背高麗寺・河内百済寺」~三カ寺の成立背景をめぐって~
講師:須田 勉 (元国士舘大学教授)
◆ 「高麗郡の開発と東金子窯跡との関係について」~他産地生産品の出土事例をもとに~
講師:富元 久美子(飯能市教育委員会)
◆ 「発掘成果から高麗郡家を推定する」
講師:中平 薫 (日高市教育委員会)

第2部 パネルディスカッション
◆ 司会:高橋 一夫(高麗浪漫学会長)
パネリスト:柿沼 亮介・須田 勉・富元 久美子・中平 薫

主催日高市/高麗郡建郡1300年記念事業日高市実行委員会
一般社団法人高麗1300/高麗浪漫学会

2016年12月18日(日) 日高市文化体育館ひだかアリーナで、第4回高麗郡建郡1300年歴史シンポジウムが行われました。日高市外からの参加者も多く、600人の参加者で客席は埋まりました。
柿沼氏DSC_0197 (640x424)◆「東アジアからみた高麗郡建郡の背景」
柿沼講師は白村江の戦い後の国際情勢からの視点を提示し、日本(倭国)にもあった小中華意識の観点から唐(中国)、高句麗、新羅、百済(朝鮮)、倭国(日本)の歴史事実を解釈して見せた。日本書紀、続日本紀の記述から、福信の姓が肖奈王から高麗朝臣に改めた事実なども、東アジア情勢を反映しているとした。

 

 

 

須田氏DSC_0205 (640x429)◆ 「武蔵高麗寺・山背高麗寺・河内百済寺」
~三カ寺の成立背景をめぐって~
須田講師は、摂津百済寺、百済尼寺及び河内百済寺と禁野本町遺跡の考察で、百済王氏と親交が深かった桓武天皇の遷都の動きと連動していることを、瓦などの考古遺物も含め解説した。また、山背高麗寺は高句麗式伽藍配置の飛鳥寺と同范瓦が出土しているなど、曽我氏との関係も示唆した。武蔵高麗寺は準官寺的性格を持つ寺で、瓦の文様・制作技法に民俗的主張が見られると話した。

 

 

富元さんDSC_0207 (640x429)◆ 「高麗郡の開発と東金子窯跡との関係について」
~他産地生産品の出土事例をもとに~
富元講師は、高麗丘陵南側の飯能~狭山市域では建郡当初ではなく750~780年頃の遺構から、武蔵国ではない別系統の製作技法で作られた土器の出土例が増えてきていることについての考察を発表した。
高麗丘陵北側の日高市域では官衛、官人・富裕層居住の痕跡が強く、南側の飯能市域で
は実務0技能系の痕跡が強いなど、移住の時期や質は一律ではなかった。

 

 

中平氏DSC_0224 (640x460)◆ 「発掘成果から高麗郡家を推定する」
講師:中平 薫 (日高市教育委員会)
中平講師は、正倉、郡庁など高麗郡の郡家を構成する施設は、発掘調査では確認されていないが、腰帯具の巡方や丸輌、鳥形硯などが出土している拾石遺跡、王神遺跡、堀ノ内遺跡が郡家の可能性がある遺跡として考えられていると話した。

 

拾石遺跡出土の墨書土器(土器に墨で文字ら記号を記したもの)の考察
・拾石遺跡から出土する墨書土器の数量は、他の遺跡と比べ非常に多い
・墨書土器に書かれている文字の多様性
一文字 家、南、桑、田など
二文字以上 家長、南家、上清地、東田
・郡家に関連する施設の墨書が出土している。

・墨書土器が大量に出土する遺跡は、郡家、もしくは関連する遺跡が想定できる。

 

パネルディスカッション休憩をはさみ、大野高麗浪漫学会会長の司会でパネルディスカッションが行われた。まず始めに各講師からの補足説明の後、会場の熱心な聴衆からの質問に対する回答とが行われた。