【報告】百済郡と高麗郡研究の展望を拓く・・・第6回歴史シンポ in 早稲田大学(12/2)

【報告】百済郡と高麗郡研究の展望を拓く・・・第6回歴史シンポ in 早稲田大学(12/2)

去る12月2日(日)、早稲田大学小野記念講堂で、第6回高麗郡建郡歴史シンポジウムを開催しました。事前申込み受付も11月中頃には締切ることとなり、会場は満席状態。当会にとっては高麗郡に加えて百済郡を扱うという初の試みとなりました。

小野記念講堂の受付の様子

関連書籍や資料の販売・配布も人気

高麗郡マップと東国マップは好評を博した

休憩時間は広いロビーでくつろぐ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冒頭、一般社団法人高麗1300理事長の大野松茂ならびに日本高麗浪漫学会会長の須田勉が挨拶しました。早稲田大学小野記念講堂という素晴らしい会場を提供いただき、さらに関西から二人の著名な先生を招いたシンポジウムが実現できたことに感謝するとともに、今後の両郡の研究の成果に期待を寄せました。

挨拶する大野松茂理事長

会場は満席状態

挨拶する須田勉会長

熱心な聴講者の皆さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

講演Ⅰでは、早稲田大学文学学術院教授の田中史生先生が登壇。「百済王氏と百済郡、高麗王氏と高麗郡」と題して講演しました。

『百済王氏と百済郡、高麗王氏と高麗郡』

田中史生先生

 

 

 

 

 

 

 

 

講演Ⅱでは、近畿大学文芸学部教授の網伸也先生が、「難波百済寺の造営と百済王氏 ~百済郡建郡の前提を探る~」と題して講演しました。

『難波百済郡の造営と百済王氏』

網 伸也先生

 

 

 

 

 

 

 

 

講演Ⅲでは、京都大学名誉教授の上原眞人先生が、「百済王の転拠と河内百済寺 ~交野郡移住の年代と背景を探る~」と題して講演しました。

『百済王氏の転拠と河内百済寺』

上原眞人先生

 

 

 

 

 

 

 

 

※講演内容にについては、レジュメ冊子(プログラム)をご参照ください

 

シンポジウム最後は、定番の「パネルディスカッション」。講演いただいた3人の講師の先生方に、早稲田大学文学学術院教授の川尻秋生先生と日本高麗浪漫学会副会長の荒井秀規のふたりによるコーディネートで、「古代百済郡の成立と高麗郡 ~建郡の実態をめぐって~」をテーマに議論を進めました。

活発に議論がかわされた

時には先生同士で質疑も

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パネルディスカッション・議論の一部(概略)をご紹介します。

田中先生が、東国にも関わる開発の問題を取り上げ、「百済王氏が摂津国百済郡から河内国交野郡に転居したことは、上原先生が言われたように摂津国百済郡域が狭小だったということもあったでしょうし、水系の問題もあったでしょう。よく考えると難波津が開かれたことで淀川水系が活かされ、東国とのつながりも良くなり、それにより王権が全国支配の力を得たということが言える。しかしそれが詰まり始めた。5世紀以来の交通体系が変わってしまった。もともと大和川水系も淀川水系もつながる難波津がつくられたはずなのに、片方が動かなくなるというショックは大きかったのではないか。王権の西日本が東日本とつながる交通体系そのものが変わってしまうということで、その影響はとても大きかったのではないかと、古代史全般から考えて思った。大きな目で見たら、単に移動したという話ではなく、開発をどうするかという流れの中にはまってくるものなのかもしれないと思いました。」

上原先生「田中先生、網先生のお話を聞いて、大きな展望の話も聞けて、私としては次の研究を進めるうえで新たな道が開けたような気分です。」

網先生「私は淀川水系のことをずっと考えていたが、大和川を調べると一本の流路だったことがない。時代によって動いてしまう不安定は流路なんです。今回参加して、自分の中で百済王氏ももしかするとそういうことと関わっているのではないかと逆に考えさせてもらった。田中先生がもっと大きな話になるだろうという、勇気をくださるようなお話しいただいたので、妄想家の私はどんどん広がってしまうのを止めるのが大変だなと(笑)。ちゃんと地道に研究していきたいと思います。」

田中先生が、卒論(早稲田大学)に高麗郡のことを書いた際に、当時今ほどに資料も情報もなく大変な中、いろいなことを考えたそうです。結局高麗郡だけでは難しいと感じ、研究も広げていくことでまた見えてくることもあったといいます。「今日は何十年か経ってブーメランのように自分に戻ってきたわけですけれど、それ(高麗郡のこと)を考えざるを得ないという気がしています。史実は解らないことがいっぱいありますが、高麗郡の場合、事実がはっきりしていて、それが何かというと地域の人がずっと伝えているということなんです。これが高麗郡の凄さだと思っていまして、これが事実であり史実なんです。古代に何があったかということも大事ですけれども、どう伝えて今に至るかということが最も大事なので、そこをくみ取って研究していかないといけないと私自身はつくづく思います。ほかの地域の渡来の問題とかと組み合わせながら議論ができていったらうれしいなと思います。」

<コーディネーターのまとめ>

百済郡の成立、百済郡と交野の問題をいろいろ議論できました。資料的に明確なことを言うことはなかなかできませんが、それでも百済郡の成立と東国の高麗郡、新羅郡の成立とはかなり状況が異なっているということが浮き彫りになってきたのではないかと思います。東国は政治性が強いということが言えるという、一つの大きな特徴として挙げることができると思います。

コーディネーターの荒井秀規副会長

シンポ実現に尽力いただいた川尻秋生先生

 

 

 

 

 

 

 

 

パネルディスカッション終了後、日本高麗浪漫学会理事の赤木隆幸の閉会の挨拶でシンポジウムは終了しました。

閉会の挨拶をする赤木隆幸理事

今回も名進行役の中野高行理事

 

 

 

 

 

 

 

 

この場をお借りして、今シンポジウムを開催するにあたりご尽力いただいた、早稲田大学文学学術院李成市教授、早稲田大学會津八一記念博物館今村昭一事務長に心より感謝申し上げます。

 

当会主催の次回講演会は『第2回高麗郡中世歴史講演会』2019年3月24日(日)に開催します。会場は埼玉県日高市の日高市生涯学習センターです。1月下旬ころにホームページ・チラシ等で詳細をご案内いたします。

 

第6回高麗郡建郡歴史シンポジウム in 早稲田大学

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