【報 告】高麗には、国際交流のヒントがある・・・大桃美代子さんが渡来人の里フォーラム(6/29)で語る
去る6月29日(土)、日高市総合福祉センターで「第16回渡来人の里フォーラム」を開催。地域振興や日韓交流に自ら取り組んでいるタレントの大桃美代子さんをお招きして講演いただきました。
第1部は、大桃さんの講演、第2部は、当会副理事長の高麗神社高麗文康宮司が聞き手となってトークショーを催しました。来場した150人の皆さんは、大桃さんが実際に体験した豊富なエピソードや大桃さん自身の言葉にたびたびうなずきながら聞き入っていました。
これより、フォーラムの内容を一部ご紹介(抜粋・要約)します。
主催者挨拶:理事長 大野松茂
今回のフォーラムは、国際交流というテーマを持ちまして、地域文化振興のためにご尽力され、ことに日韓との国際交流に深い取り組みをされております、大桃美代子先生にご講演をお願いいたしたところでございます。皆様方にもこの機会を大切にされまして、日韓交流の上でより理解が深まりますように、そしてなにより、高麗郡建郡1300年という尊い歴史を振り返ると同時に、この地が持っているこの誇らしい歴史を次の時代に広げていくためにもこのような会を通じてさらに皆様方のご理解とご協力をいただければありがいと思っております。
第1部:講演「日本と朝鮮半島交流1300年 ~民間の架け橋が多様性をつくる~」
講師:大桃美代子さん(タレント)
私は新潟県の魚沼市出身、コシヒカリが有名でして、父が農業をやっておりまして、今はもうやっていませんが、稲穂が揺れている原風景を思い浮かべます。
韓流との出会い・・・
モデルの仕事をしたときに、私は向いていないと感じていたところに「大桃さんはムービーのほうが向いているよ」と言われて・・・オーディションに行くようになって、どんどん受かっていった。NHK「ニッポ人の質問」に出演・・・その後「冬のソナタ」の番組ナビゲーターの仕事に。
「朝鮮通信使以上の働きをしたのがペヨンジュンさんだろと思う。」
こんなにゆっくりなドラマを日本人が受け入れるのだろか・・ところがあれよあれよと韓流ブームへ。その後、韓流スターとの対談など仕事が来るようになる中で、韓国語で伝えたいと、韓国延世大学に語学留学へ。その後大邱の観光大使などを務めるようになる。
実家、中越地震に見舞われる・・・
中越地震の被災地で何か発信しなくてはと思うようになった。魚沼ならお米、お米を作ろう・・・「桃米」という古代米をつくる。白いお米だと、ほかの農業をやっている皆さんの分をとってしまうかもしれない。白いお米と混ぜて炊いてくださいねと、古代米にしたんです。無農薬に挑戦しようと・・・父に「農業をなめるな」と言われたが・・・
大邱で知った日本人への顕彰・・・
農業と朝鮮半島とは切っても切れない。エフリという農機具は、韓国にもあった。韓国語から来ていることばだと思う。日本と朝鮮半島の言葉が非常に似ている。韓国語を勉強していると、これもかと驚きがある。
竹島問題が起こっていたころ、大邱に行って、きっと「日本人なんてよく思われてないんじゃないか」と聞いたら、「大邱はそんなことないですよ」と。「日本人にすごく感謝しています」と言われた。寿城(スソン)池という用水池が造られていている。当時(1914年)赴任してきた水崎林太郎さんとう方が、大邱の気候ならリンゴがとれるだろうと、リンゴを推奨して植えた。今では大邱はリンゴの産地になっている。水崎さんが政府に掛け合って作ったのが寿城池。
日本人でもその土地のために貢献した人は教科書に載っていて、子供たちがちゃんと訪ねていく課外授業があると知り驚いた。テレビや新聞でみる風景は殺伐としたきびしい問題ばかりだが、こうして地域によってはちゃんと日本人がやったことの功績や交流があったことを示している場所もある。大邱に関しては、非常に親日の方も多く、水﨑林太郎さんのお墓を守っている韓国の方もいる。
「メディアで取り上げていない情報をもっと多くの人に知ってもらいたいと思った。」
日本と朝鮮半島2000年・・・
NHK番組「日本朝鮮半島2000年」を10回シリーズのうち4回担当した。私が担当した時に百済、プヨに行きました。百済が滅びそうになった時に百済が助けてと日本に援軍を求めてきた。「白村江(はくすきのえ)の戦い」敗れた百済から百済の人たちが沢山日本にやってきて、日本つくるときに手伝った。百済の人たちが日本をつくったといわれているくらい。猪熊(兼勝)先生という古代の歴史を研究している先生から「日本という歴史は、滅びた百済人の歴史をそのまま引き継いでいるから」と言われた。
「それくらい関係が深く、日本の国づくり、律令や文化を整えていったのが朝鮮半島とのつながり。」
高麗との出会い・・・
地域でお米作りをしていたら、共同通信の地域再生大賞の選考委員に。高麗1300がノミネートされていたの知った。友人に高麗神社がパワースポットだと言われ、ぜひ行ってみたいと思ていた。高麗神社で行われていたキムジャンのツアーに参加しました。
観光した後にグルメが必要になる。「高麗鍋」があるのがすばらしい。B級グルメは地域の人たちが意識を共有しないとできない。
融合と国際交流・・・
高麗という土地が、ますます不思議であり、先進的で稀有なまち。日本へと融合していくご苦労と長い歴史、1300年築いてきたことはすごい財産。
うまく融合することは可能ではないかと思う。ちょっと見方を変える。もしかしたら違う考え方があるんじゃないかな。ニュースを見たときに、ほかに見方があるんじゃないかな。自分の見方も変わり、相手の見方も変わってくる。民間交流は続けていくべき。政治の抑止力になる。
「エンターテイメントは楽しく相手を理解できるすばらしい道具だと思う。」
「エンターテイメントや民間交流を閉ざさずお互いの意見を言い合う、聞きあう姿勢を持ちながら付き合う、閉ざさない、拒否をしないことが重要。」
第2部:トークセッション
大桃 高麗人たちが高麗郡をつくったことは、大変な覚悟だったと思う。開墾からするのはものすごく大変なことだと思う。
宮司 大桃さんは農業を知っているからこそ、そこを強調されていたわけですね。
高麗 高麗の里のイメージは?
大桃 山奥にぽつんと神社があるイメージ
高麗 人がいないと思っていた?
高麗 韓流ブーム、実は今若い人たちが韓国に注目していますね。
大桃 第一次韓流ブームはドラマブーム、結構年配の方たちが多かった。第二次韓流ブームは、東方神起をはじめとするKポップスターが人気となった30代40代が中心。第三次韓流ブームは、新大久保や若いKポップスターが人気。チーズタッカルビを食べたいと中学生が新大久保へ来る。中学生にも浸透している。韓国コスメも人気。中学生から高校大学生など若い世代が中心。
大桃 近いけれど違う異文化、そこに魅力を感じている。これまではあこがれまではいかなかったが、今はあこがれて楽しむ。逆に韓国の若い子は、日本の化粧品がいいねと使っている人が多い。
高麗 そのような若者たちをどのように感じていますか?
大桃 歴史的背景を知りなさいと言う方もいるけれど、知らないからこそそのまま飛び越えた交流ができるのが10代のよさではないか。
高麗 最後に大桃さんから皆さんにメッセージをお願いします。
大桃 高麗という地域、今は郡はなくなってしまいましたが、高麗ということを残しながら国の中で文化を育て歴史を作ってきた稀有な形。まさに国際交流のヒントがあると思う。アイデンティティーを残しながら国として成立して融合して協力していく形は出来るのではないかと、高麗に来て感じました。誇りに思って残していこうと生きている人たちがいるということはほかの国の人たちの見方がかわると思います。日本にも多様性があることを伝えていただきたい。
大桃 ところで宮司さんが感じていらっしゃることは?
高麗 大桃さんとトーク出来たことがとっても良かったというだけです・・・(会場笑)
高麗1300 赤木隆幸理事の閉会のあいさつで、フォーラムの幕が閉じた。