【報 告】お隣・上野国の古代史を巡る 第7回研修ツアー 11/5

【報 告】お隣・上野国の古代史を巡る 第7回研修ツアー 11/5

今回もバスは藤交通さん(ドライバーは太田さんです)

 2019年に上野国から始まった「渡来文化の歴史を巡る旅シリーズ 古代渡来文化遺跡を巡る日帰り研修(バス)ツアー」は、今年で7回。第一回に訪ねたお隣の上野国を再び巡りました。

 いつものように、高麗神社を7:20に出発、高麗川駅、坂戸駅に立ち寄り33名が乗車、関越道を北上し、いざ上野国・群馬県へ。天気もまずますでしょうか・・・

 最初に、群馬県立歴史博物館へ。ここで元群馬県立歴史博物館特別館長で現在歴史と文化を学ぶ会特別顧問の右島和夫先生と、歴史と文化を学ぶ会理事長の結城さんと橋爪さんと合流しました。

 まず、視聴覚室で右島先生による、本日の研修ツアーの事前学習からはじまりました。歴史博物館の説明から、博物館の近くにある綿貫観音山古墳やその出土品について、さらに群馬県の古墳の変遷やその場所について解説しました。また今回一番の目的地、八幡観音塚古墳についても、とりわけ石室に使われている巨石の採石場所についてなど、とても興味深い内容となりました。

本当は一日かけて観たい、群馬県立歴史博物館
右島先生の講義から一日が始まった

 座学の後、博物館の展示を見学しました。ここには綿貫観音山古墳の埴輪や出土品が多く展示されてします。また甲を着た古墳人で有名になった渋川市の金井遺跡群の出土遺物が、今年3月に国の重要文化財に指定されたことから展示がリニューアルされていて、クイズ形式で楽しく学ぶことができます。

 いつもながらの欲張り行程のため、1時間弱の見学を終え、上野国分寺跡へ向いました。博物館からは右島先生もバスに乗車、次の目的地まで群馬の歴史についての車内講座となりました。今回は、右島先生のお陰で、いつもより特別感満載、上野国の古代史に浸る贅沢な一日となりました。

博物館から上野国分寺へ向かう道中
右島先生に上野国の歴史を解説いただいた

 上野国分寺跡では、まず上野国分寺館というガイダンス施設へ。ここでは、瓦などの出土品や、七重塔の模型などを見学しました。そのあと、国分寺跡へ移動し、復元された講堂や七重塔の基壇などを見て回りました。100年近く金堂とされていた建物前で、本来の金堂が見つかったため、これまで金堂と思われていた跡は講堂だということがわかりました。上野国分寺の特徴でもある伽藍配置は、塔が回廊の外に置かれていて、陸奥、近江、但馬の国分寺と同様です。一部築垣(ついがき)が復元されており、今後の整備が待たれます。

駐車場から国分寺跡へ
ガイダンス施設の上野国分寺館
館内は様々な展示が
七重塔復元模型
出土瓦なども展示されていた
外へ出て国分寺跡へ
基壇が復元されている
七重塔の基壇
今回参加のみなさん(復元築垣の前で)

 昼食は、車内で弁当というパターンが続きましたが、今回は「食亭つかさ」でいただきました。

 午後は、観音塚古墳へ。この一帯には平塚古墳や八幡二子塚古墳もあり、八幡(やわた)古墳群を構成しています。まずは、高崎市観音塚考古資料館へ。綿貫観音山古墳もそうですが、ここ八幡観音塚古墳も、幸い盗掘にあっていませんでした。資料館にはその出土品が展示されています。銅鋺や大刀、馬具や装飾具などどれも見逃せません。ここでも右島先生が詳しく解説してくださいました。

高崎市観音塚考古資料館
館内には出土品が展示されている
特徴的な装飾品など
右島先生が解説
右島先生の話を熱心に聞いて

 また、古墳へ移動して、石室内も見学しました。最も重い石は55トンもあり、「群馬の石舞台」と称されるほど。そこで気になるのが、採石場所と運搬方法。事前に車内で右島先生が資料をもとに解説してくださっていました。実際に石室の中に入ると、天井には巨石が!重機のある現代でも大変な作業になるでしょうが、古代の人々はどうやって運んできたのか。また、天井に設置したのか。右島先生によると、古墳の北を流れる烏側上流から採石し、下流に向かって運んできたと。また、こうした巨石を運搬する際には、地域を挙げての祭事のようなものだったとのことでした。

資料館から出て古墳に向かう
住宅地中央の森が古墳
正面が古墳の山
古墳の概要や石室が発見されたエピソードなど
右島先生が詳しく解説してくれました
石室の入り口(日中は誰でも見学可能だ)
広い石室(大人30人が入れる)

石室発見のエピソード・・・
 昭和20年(1940)3月10日、近隣の人々が観音塚古墳に共用の防空壕を掘っていたところ、突然巨大な空間と数々の豪華な副葬品を発見したのでした。古墳の存在はわかっていたものの、石室や副葬品などは全く知られていませんでした。3月10日は東京大空襲の日。

右島先生の解説も
55トンの巨石
墳丘の形を確かめて
石室の大きさ・石の大きさに驚愕

 最後の訪問地は、「多胡碑」。今まで個人個人で訪ねたことはあったものの、会としては初めて。多胡郡が711年に建郡されたことから、建郡1300年記念事業を高麗郡より一足早く手掛け今も活動を続けている「歴史と文化を学ぶ会」とお付き合いさせていただてきた経緯もあります。今回も、朝から結城さんと橋爪さんに一日同行していただいております。

高崎市吉井町の多胡碑記念館
多胡碑は建物の中に厳重に保存

 さて、まずは実物の多胡碑を見学しました。しっかりとした建屋の中にあり、ガラス越しになりますが、多胡碑記念館の職員の方が詳しく解説してくださいました。この碑は、多胡郡が建郡されたのを記念して建てられたもので、その時の様子が記されています。

職員の方による解説を聞く
本物の多胡碑(ガラス越しに撮影)

 碑の周辺は公園になっていて、碑の裏手には、「多胡碑記念館」があり、多胡碑はもとより那須国造碑や多賀城碑など、他の石碑についても学ぶことができます。館内の見学でも解説していただき、皆さん熱心に聞いていました。

 多胡碑のほか、近くには金井沢碑、山上碑もあり「上野三碑」と称され、平成29年(2017)に、ユネスコの「世界の記憶」に登録されました。

 多胡碑を見ると、私たちは高麗郡建郡を記した「高麗碑」がどこかに眠っているのでは?と、考えてしまいます。

上野三碑のレプリカの前で
職員の方が説明してくださった
碑の刻字は書の手本にも

 さてここで、右島先生と結城さん、橋爪さんとお別れ。感謝を込めてご挨拶してバスに乗り込み帰路につきました。バスの中では、毎回恒例となった日本高麗浪漫学会の加藤恭朗先生に、今日訪ねた歴史の振り返りや、高麗郡とどう関わって来るのかなどなど、締めのお話をいただきました。

 今回で7回目となりましたが、さて8回目来年2026年は・・・実は、東国七国のうち駿河と下総はまだ訪ねていません。どちらも悩ましい・・・

高麗1300