【報 告】日和田山からエベレストまで有志の会からのご報告

【報 告】日和田山からエベレストまで有志の会からのご報告

日和田山からエベレストまで有志の会(高麗1300が事務局代行)が、2018年秋より進めてきた田部井淳子さん記念モニュメント『日和田山からエベレストまで』がこのほど完成し、10月20日には除幕式を、11月20日には完成披露が行われました。モニュメントは、田部井さんが女性で世界初登頂を果たしたエベレストをモチーフにしたもので、田部井さんの写真と感謝の言葉が入ったステンレスプレートが埋め込まれています。

日和田山登山口へ向かう道すがらにある

エベレストをモチーフに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月20日の除幕式には、ご主人の田部井政伸さんをお招きし、また日本山岳会埼玉支部松本支部長も駆けつけてくださり、支援者を始め70人余りの参加を得て執り行うことができました。実は、直前まで台風などで雨の日が多く、最終段階の塗装が間に合いませんでした。この日は、地元メディアの文化新聞と飯能日高テレビが取材に来て下さいました。後日この模様が紹介されました。

10月20日は田部井淳子さんの命日です。

つづいて11月20日には、無事塗装も施されて晴れて完成のお披露目を、田部井政伸さんを招いて行いました。当日は、新聞社6社とNHK、テレビ埼玉が取材に来て下さり、広く報じられました。

新聞各紙の記事はこちら・・・新聞記事1 新聞記事2 新聞記事3

 

各方面へ支援をお願いした結果、140人の方々から、総額953,000円が集まりました。その中からモニュメント施工費やリーフレット製作費、通信費や事務経費等を差引た金額206,283円を、2019年12月6日、世話人の大澤芳文より、一般社団法人田部井淳子基金代表理事の田部井進也さんに直接手渡しました。できるだけ、寄付金に残したいと、関係者にもご協力いただきました。ご支援誠にありがとうございました。

大澤世話人(右)から田部井代表理事へ

 

田部井淳子さん記念モニュメント・収支報告書

(一社)田部井淳子基金からの礼状(領収書)

 

寄付金は、毎年開催されている「東北の高校生の富士登山」の資金に充てられます。

東北の高校生の富士登山リーフレット(PDF)

 

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<田部井淳子さんが親しんだ日和田山>

女性で世界初のエベレスト登頂(1975年)を果たし、その後世界七大陸の最高峰の登頂も果たした(女性で世界初)登山家の田部井淳子さん(2016年10月20日永眠)は、日和田山に度々訪れていました。若いころには、夫の政伸さんと登山訓練に通い、エベレスト登頂など数々の偉業を成し遂げました。晩年ガンの発症後には、「病気になっても病人にならない」とリハビリのために日和田山に毎週のように登りました。頂上に着くと、「今日も登れてよかった」と、登れた喜び、生きている喜びをかみしめていたそうです。

 

 

<日和田山からはじまった政伸さんとの縁>

2018年6月2日(土)、第15回渡来人の里フォーラム(主催:一般社団法人高麗1300・理事長大野松茂)で、淳子さんの夫の田部井政伸さんが「日和田山からエベレストまで ~我が妻 田部井淳子が遺したもの~」と題して講演、翌3日(日)には「田部井政伸さんと登ろう!日和田山ハイク」を実施しました。また、高麗神社では、高麗郡偉人伝・田部井淳子回顧展(7月22日~29日)も開催されています。

 

第15回渡来人の里フォーラムはこちら・・・http://komagun.jp/2018/0613/7826

<日和田山にあってもいいよね>

6月3日の「日和田山ハイク」の道中、政伸さんが「淳子(さん)の記念碑が御岳山に建っている」と。そこに居合わせた数人が「だったら日和田山にあってもいいよね」と互いにうなずき合いました。政伸さんの講演を聴いたり、淳子さんや政伸さんの著書を読んだりして、淳子さんの生き方や、日和田山や高麗の里に親しんでいた話に感銘を受けていたからこそ出た言葉でした。

田部井政伸さんと登ろう日和田山ハイクはこちら・・・http://komagun.jp/2018/0615/7892

 

<有志の会始動>

それからしばらくして大澤芳文さん(日高市野々宮)が中心となり賛同した者たちで有志の会(2018年11月)を発足、資金集めや設置場所の土地探しが始まりました。中々土地が見つからず、一時はあきらめかけていたところでした。8月に入り、発起人の橋本利弘さん(日高武蔵ライオンズクラブ会長)、駒井正治さん(前日高市観光協会会長)が、日和田山登山者が利用する駐車場所有者の和田實さんを訪ね趣旨を説明すると、その場で和田さんが快諾、登山口へ通じる道路に面した場所に決まりました。

 

<造形デザイナーの浅見さんとの縁>

モニュメントの施工は、平成29年に「国際バラとガーデニングショー」のガーデニング部門で大賞を受賞した浅見純一さん(株式会社浅見技工)に依頼、エベレストをイメージしたモニュメントに、田部井淳子さんの写真と感謝文を記したステンレスプレートを埋め込みます。浅見さんは日高市巾着田入口のモニュメントや、日和田山中腹の金刀比羅神社鳥居前の眺望図など数々の造形物を手掛けています。有志の会の橋本さんや和田さんと知り合いであることから、是非にと引き受けてくださいました。有志の会ではプレートのイメージだけ伝え、造形は浅見さんにお任せしました。

日和田山中腹の金刀比羅神社鳥居前に

浅見さんが施工した眺望を示すモニュメント

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<田部井さんを知る人も知らない人も日和田山に親しんで>

今でも淳子さんの月命日の20日には、淳子さんを慕う登山愛好家の皆さんが「思い出登山」を行っています。日和田山から物見山へ縦走、「正午に物見山山頂」だけが決まり事。出欠も取りません。今年の10月20日には約80人が集いました。有志の会では、日和田山を訪れる沢山の登山客にも淳子さんの偉業を知ってもらいたい、淳子さんが同じ日和田山を登り、高麗の郷に親しんでいたことを知ってもらいたいと願っています。

 

<田部井淳子さんの残したことば>

田部井淳子さんは、生前人生訓ともいえる言葉を残しています。なかでも「一歩一歩前へ」「病気になっても病人にはならない」は、実に身近な言葉として思わず「う~んそうだよね」とうなずいてしまいます。このモニュメントを通して、田部井淳子さんがどんなひとだったのかを知り、自然に親しみ、山を愛し、そしてほんの少しでも人生の励みになればと思ております。政伸さんは、日和田山をリハビリ山と称し、認知症予防にも効果があるといいます。気軽に登山気分を楽しめる日和田山、いかがですか?

「一歩一歩前へ」・・・「どんなに苦しくても、ゆっくり一歩一歩前へ進めば、必ず頂上へ着ける」と、登山教室の生徒さんや東北の高校生たち(富士登山)を励ましたそうです。

「病気になっても病人にはならない」・・・淳子さんは晩年ガンを患いながらも治療の合間に各地の山に登ったり、講演するなど積極的に活動されたそうです。亡くなる3ヶ月前、東北の高校生の富士登山に同行、残念ながら頂上まで登れませんでしたが、7合目で高校生たちを励ましていました。これはNHKの特集番組で紹介されました。

 

日和田山からエベレストまで 有志の会

事務局担当 平野直樹