【報告】渤海国と日本との交流の深さを知り、さらに高麗郡がそこに関わっていたことを知る 第9回歴史シンポジウム 盛況に終わる 12/10
2022年12月10日(土)、日高市総合福祉センター『高麗の郷』研修室で、第9回高麗郡建郡歴史シンポジウムを、101人の参加を得て開催しました。テーマは、『高句麗滅亡後の国家・東アジアの古代王国「渤海(ぼっかい)」と日本との交流を探る!』。
これまで、高麗郡歴史シンポジウムでは、8回にわたり古代高麗郡建郡の謎を多角的に多方面的に議論してきました。さらには、古代百済郡や古代新羅郡についてもそれぞれの母国と日本の関係などから議論を重ねてきました。
今回は、高句麗滅亡後に誕生した、東アジアの古代王国『渤海(ぼっかい)国』を取り上げ、日本との交流や影響について、さらには「大陸に残った高句麗系遺民の実像をよりよく理解し、そこから古代高麗郡の実態に迫ろう」と、北陸金沢から二人の研究者、金沢学院大学名誉教授の小嶋芳孝先生と、金沢大学教授の古畑徹先生をお招きして議論しました。
渤海(ぼっかい:698~926年)は、中国東北部・高句麗の故地に高句麗の遺民たちによって建てられた国とされ、奈良・平安期の727年から922年の間に、34回も日本へ使節を派遣しています。また逆に、728年から811年までの間に日本から遣渤海使が14回も派遣されています。このことからも、渤海と日本は頻繁に行き来し、互いに積極的に交流していたことがわかります。
小嶋芳孝先生は、現地を調査した考古学的な見地から、能登半島の「福良津(ふくらのつ):現・福浦港」を窓口として出航し、遣渤海使が訪れた経路や王都の遷都状況、さらには発見された遺物についてスライドを見ながら講演されました。
古畑徹先生は、文献史学の見地から、特に渤海から日本へ派遣された渤海使の記録に、高句麗人の後裔とみられる高氏が多く登場することから、高氏関連の史料を整理して、高氏の実像に迫る講演をされた。また遣渤海使の随行者の中には、複数の高麗郡出身者がいたことも史料から示されました。
パネルディスカッションでは、中野高行日本高麗浪漫学会副会長の進行により、お二人の講演内容をもとに、さらに突っ込んだ論議が展開されました。内容はかなり高度でしたが、あまり知られていない渤海国の実像に迫った内容であったと共に、奈良・平安期に日本との間に多くの交流があったことがわかり、参加者は大変満足した様子でした。
参加した方からは、「渤海国のことはほとんど知らなかったが、興味をもって聞くことができた」「専門的な話も多くなかなか話についていけなかったが、渤海と日本とのつながりを知ることができた」「これから渤海のことを自分でも調べていきたい」などの言葉をいただきました。
当会の「公開歴史講演会」や「歴史シンポジウム」は、第一線の研究者を講師に招いて講演いただくことから、専門的な話が多く難しいことも。先生の話のほんの一部でも「そうなのか」「へえー」と頷けることができればよいのかな、と思っております。歴史はさまざまな事柄が絡み合っています。自身で探ったり、いろいろと話を聞いているうちに不思議と事柄がつながってくることがあります。思わず「ほほう」「なるほどそういうことだったのか」と。当会の事業はもちろんのこと、他の団体の講演会や勉強会などにも参加されてみてはいかがでしょうか。
小嶋先生、古畑先生、そしてご参加くださった皆様、誠にありがとうございました。