【報 告】第7回高麗郡歴史シンポ終了 高麗郡と新羅郡・・・建郡の性格の違いが明らかに
昨年12月15日(日)、日高市生涯学習センターを会場に「第7回高麗郡建郡歴史シンポジウム」を開催。150人を超える参加者で会場は満席となり、熱気あふれるシンポジウムとなりました。事前申込み受付は、11月末には定員に達し、その後多くの皆様にお断りすることとなりました。お断りした皆様にお詫び申し上げます。
2013年~2018年で6回の「高麗郡建郡歴史シンポジウム」を開いて、古代高麗郡の建郡の謎について多角的に論議してきましたが、本年度は視点を武蔵国内に置き「(高麗郡の建郡の背景をよりよく理解するために、対すべき)古代新羅郡(和光市・新座市・志木市・朝霞市)の建郡の背景実態について」各視点より、多角的に論議しました。テーマは「古代武蔵国の新羅郡と高麗郡の成立の背景を探る!」。
4人の講師により、新羅郡の考古学的遺跡調査の現在までの成果と、高麗郡との建郡の対比(共通点・相違点)、また建郡時の東アジアを含む国内の政治的背景を語っていただきました。和光市に新羅郡の郡家が置かれたらしいとの推測や、なぜ新座(にいくら)郡にその後名称変更したのか、さらに高麗郡建郡前の坂戸中央遺跡群の位置づけ(プチ高麗郡の集落)など、興味尽きない話題が展開されました。また会場で参加された大東文化大学宮瀧交二教授からもコメントをいただきました。
高麗郡の建郡と新羅郡の建郡は、同じ入間郡を分割して設置された郡ではありましたが、全く性格の異なるものであることが認識されました。今後も、さらなる研究が深まることが期待されます。