【報 告】「新羅」と「下野国」の深~いつながりが明らかに! 第8回歴史シンポジウム終了
12月5日(日)、日高市総合福祉センター「高麗の郷」を会場に、第8回高麗郡建郡歴史シンポジウムを開催しました。
当日は、新型コロナウイルス感染対策のため参加定員を大幅に絞りましたが、その定員一杯に参加者を得て開催することができました。(関係者含め93人)
埼玉県内はもとより、東京都、神奈川県、群馬県など関東一円から、また山梨県や新潟県からも参加いただきました。
講演に先立ち、高麗1300の大野松茂会長、日本高麗浪漫学会の須田勉会長が挨拶しました。これまで継続してこられたことへの感謝と、来場した皆様への感謝の言葉を述べました。また、須田会長が、講演をお願いしていた酒寄雅志先生(國學院大學栃木短期大学教授)が都合により欠席されたことを報告しました。(司会進行は、日本高麗浪漫学会の中野高行副会長が務めました。)
講演1では、栃木県下野市教育委員会文化財課長の山口耕一先生が「古代下野国における新羅系文化」と題して講演しました。
山口先生は、特に大宝律令制度(701年)の編纂事業に深く関わった下毛野朝臣古麻呂の存在の重要性を説きました。下野国内の古墳などから出土した、韓半島系の遺構や遺物を紹介、また下野国分寺や下野薬師寺といった大規模な施設が建てられた背景などを、渡来文化の視点から解説しました。
講演2では、国士舘大学文学部教授の眞保昌弘先生が「那須国造碑と地域支配の動向」と題して講演しました。
眞保先生は、より広い視野となる韓半島の石碑の源流から那須国造碑の渡来文化的意義を解説しました。また石碑は、那須官衙や侍塚古墳群とほど近い場所にあることから、中央集権化してゆくなかでの、在地勢力と渡来系氏族との結びつきについて解説しました。
お二人の講演から、下野国が新羅との強い結びつきがあったこと、そしてそれが当時の日本との背景をもとにどのような影響があったのかががよく解りました。
パネルディスカッションでは、二人の講師の先生に加え、文献学の柿沼亮介先生(日本高麗浪漫学会研究員)がコメンテイターに、そして須田勉会長がコーディネーターが務めました。テーマは「日本古代の新羅系移住民と在地社会」。
長年下野薬師寺の発掘調査を手掛けてきた須田会長が、講師の先生方が講演で語らなかった内容を掘り起こし、さらに深く議論が交わされました。高度な内容もありましたが、日本と統一新羅の関係が良好な時期(7世紀後半から8世紀前半)に、地方への具体的な影響と、日本が渡来文化を上手に受け入れて大きく国の形が変わった700年頃の状況を知ることができました。
参加した皆さんは、時にはメモを取るなどして熱心に聞き入っていました。
最後に、日本高麗浪漫学会の荒井秀規副会長による閉会のあいさつで幕を閉じました。
第9回高麗郡建郡歴史シンポジウムは、「渤海」をテーマに展開します。高句麗をルーツにもつ渤海について、深く議論します。開催は、2022年12月予定。