【イベント】参加申込受付終了 古墳~奈良・平安~鎌倉時代へと歩こう! 第11回高麗のふるさと歴史ウオーク 3/27(日)

【イベント】参加申込受付終了 古墳~奈良・平安~鎌倉時代へと歩こう! 第11回高麗のふるさと歴史ウオーク 3/27(日)

おかげさまで、定員に達しましたので、受付を終了しました。

なお、当日直接参加は受け付けておりません。何卒ご了承ください。

高麗郡建郡1300年の歴史を歩こう!

第11回高麗のふるさと歴史ウオーク

高麗郡建郡前夜を訪ねて -山王塚古墳と東山道武蔵路編-

2022年3月27日(日) 開催します!

只今参加者募集中!

第11回高麗のふるさと歴史ウオーク・チラシ表
第11回高麗のふるさと歴史ウオーク・チラシ裏

※ チラシのPDF版は、最後にあります。

<コース>

スタート/西武新宿線「南大塚駅・北口」~山王塚古墳~南大塚古墳群~<昼食休憩>埼玉川越地方卸売市場~八幡前・若宮遺跡~東山道武蔵路現存道路~牛塚古墳~霞ヶ関遺跡~河越館跡~上戸日枝神社~ゴール/東武東上線「霞ヶ関駅・北口」・・・約12㎞

<開催概要>

日時: 2022年3月27日(日) 9:00~15:30(予定) ※小雨決行

集合場所: 西武新宿線「南大塚駅・北口ロータリー前」
集合時間: 受付開始8:30/出発式8:50/出発9:00

解散場所: 東武東上線「霞ヶ関駅・北口」
解散時間: 15:30予定

募集人数:30人(要・事前申し込み)
参加費:一般1,000円/高麗1300会員500円(傷害保険代・資料代等)
・・・・当日受付時にお支払いください。

申込締切日:定員に達しましたので、受付は終了しました。

※ちらしに記載している「参加資格」「注意事項」「免責事項」をお読みになりご承知いただきますようお願いいたします。
※新型コロナウイルス感染拡大防止対策にご協力をお願いいたします。(マスク着用、三蜜回避、手指消毒等)

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主催:高麗1300、日本高麗浪漫学会
後援:川越市教育委員会、日高市教育委員会、日高市観光協会、高麗神社
協力:川越市立博物館、高麗王・若光ウオーク

 高麗郡が置かれた地域(今の日高市・飯能市など)は、未開の地だったそうです。縄文時代や弥生時代初期の遺跡は見つかっても、古墳時代のものは出てきません。しかし、隣接する古代入間郡(坂戸市や川越市など)には沢山の古墳が見つかっています。では高麗郡建郡前後、それらの地域ではどのような歴史が営まれていたのでしょうか?

 今回は「高麗郡建郡前夜を訪ねて」と題して、高麗郡と接する川越市西部に点在する古墳を訪ねます。また、高麗郡建郡時には整備されていたであろう東山道武蔵路の駅家(うまや)跡(八幡前・若宮遺跡)や現存道路を歩きます。そして、奈良・平安から鎌倉へと時代が変わり、河越氏の館跡(国指定史跡)や河越氏ゆかりの上戸・日枝神社に立ち寄ります。河越氏は、鎌倉幕府との関りも深く、重頼の娘は義経の正室になっています。

 古墳時代から奈良・平安時代、そして鎌倉時代へと歩いてみませんか?

<山王塚古墳・東山道武蔵路そして高麗郡建郡>

 山王塚古墳は、上円下方墳という、全国的にも大変珍しい古墳です。上円部の直径が約47m、下方部の一辺が約63mあります。造られたのは7世紀後半から8世紀初頭と推定されています。中央集権国家へと日本が整備されていった時期と重なります。

上円下方墳「山王塚古墳」(川越市指定史跡)
古墳上部には「山王社」が鎮座する

 山王塚古墳が築かれた入間地方は、7世紀後半に武蔵国入間評、のちに入間郡になります。その役所である評家、郡家は、霞が関遺跡(霞ヶ関駅周辺)に見て取れます。また、そのころには律令制の下、五畿七道制が定められ、都と地方を結ぶ官道が整備されました。武蔵国は東山道に属し、上野国(群馬県)を通る東山道から東山道武蔵路によって武蔵国府や武蔵国分寺が結ばれます。東山道武蔵路の駅家(うまや)跡が入間川の左岸に位置する「八幡前・若宮遺跡」です。

 そして高麗郡は、このように中央集権化が進むなか、716年に入間郡の一部を分割して建郡されたのでした。

<牛塚古墳と渡来系氏族>

 川越市的場地区に「牛塚古墳」があります。JR川越線「西川越駅」と「的場駅」の間、ちょうど川越方面から入間川を渡り、左手に東京国際大学が見えるあたりです。きっとご存じの方もいらっしゃるでしょう。
 その牛塚古墳は、全長47mの前方後円墳で、6世紀末頃に造られた在地有力者の墓だったものが、7世紀初めに渡来系氏族の墓に造り替えられています。そこからは馬具や金銅製指輪などが出土しています。高麗人(こまびと・高句麗からの渡来人)による高麗郡建郡とつながるのでは?と想像するのは飛躍しすぎでしょうか・・・。なお金銅製指輪は、朝鮮半島に由来するものと考えられています。

<河越館跡・河越氏と高麗氏>

 秩父平氏の流れをくむ重隆が、今の川越市上戸に館を構え、河越氏を名乗ったのが始まりといわれています。河越氏は畠山氏などと並び、武蔵国の有力武士となります。源頼朝が挙兵した際、河越重頼は畠山重忠とともに敵対しましたが、やがて頼朝に服従することになります。重頼の娘が義経の正室となるなど深い縁となります。しかし頼朝と義経が対立すると、義経の縁者であることが災いし滅ぼされてしまいます。鎌倉時代中頃、経重の代になると勢力を回復します。しかし、南北朝時代に入ると歴史から消えていきます。ところで河越氏と高麗氏(高麗神社)、つながりがあったようです。いずれ高麗家第60代当主の高麗神社高麗文康宮司にお話を伺う機会を持ちたいと思います。