【報 告】満席の会場に熱気あふれ・・・第1回高麗郡中世歴史講演会開かる 3/24(土)

【報 告】満席の会場に熱気あふれ・・・第1回高麗郡中世歴史講演会開かる 3/24(土)

去る3月24日(日)、日高市生涯学習センター視聴覚室を会場に、「中世武士の研究から、東国武士の特徴や動向を明らかにし、中世高麗郡の実態に迫る!」をテーマにした、第1回高麗郡中世歴史講演会を開催したところ、156人が来場、会場は満席となりました。講師には、宮内庁書陵部文書研究官で文学博士の櫻井 彦(さくらい よしお)先生。

空席がなく満席の会場

講師の櫻井 彦(よしお)先生

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下、講演会について、簡単にご報告します。

中世に存在した3つの高麗氏

日本高麗浪漫学会は、今まで高麗郡建郡を中心に古代史に関する講演会や歴史シンポジウム、市民講座等を開催してきたが、高麗郡1300年の長い歴史を考える時、さらに視野を広めるため、中世史における謎にも取組むこととなり、今回がその第1回目の中世歴史講演会となった。特に、中世の高麗郡において特徴的なのは、高麗郡という狭い地域に、氏族の異なる3つの高麗氏(王姓高麗氏、平姓高麗氏、丹党高麗氏)が争いもなく存在したことである。何故、3つの高麗氏が存在したのか、その推論についての見解を、講師にお招きした櫻井彦(よしお)先生:文学博士よりお話しいただいた。

講演会では・・・

当日は、古代史・中世史ファンを中心に約150名の参加があり、会場の日高市生涯学習センターは満杯の状態であった

第1部 櫻井先生の講演>>>

スライドを示しながら解説する櫻井先生

熱心に聞き入ったりメモを取ったり

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、第1部の講演では櫻井先生より、中世武士の形成の認識についてお話しいただいた。一般的に「地域で支配権を確立した開発領主たちが、領内の民衆を支配し、また周辺の豪族との対立を解決するために、一族や郎党(ろうとう)を武装させて“武士団”をつくった」とされる。しかし、また別の見識として「王権(中央では天皇家や摂関家、地方では国司)が“武士”を認定する権利を有していたことから、武士は王側近(武官)の武力から生まれ、主に都や辺境に配置され、必要に応じて諸国に派遣された」との見解を紹介された。さらに武士と認められるのは、武芸として弓術と馬術を有する弓馬の家からの出身者の、家を継ぎたる兵であることが必要とのお話しもされた。

次に、3つの別姓高麗氏の存在について、各文献資料より、その存在理由をお話しされた。8世紀初頭より古代高麗郡の開発に関わった「王姓高麗氏」は、王権による地域開発の認可と正当性をもっていた。11世紀半ばより高麗郡に移住した秩父平氏武家が高麗荒太郎と名のったことからの「平姓高麗氏」、12世紀半ばに高麗郡に移住した丹党系の経家が高麗五郎と名のったことからの「丹党高麗氏」の両氏があるが、別姓(平姓・丹党)の一族が「高麗」氏を名のった理由は、「地域社会(高麗郡)を政治的に編成する正当性をもつため」に高麗氏の名が必要だったのではないか、と推論された。

そして、最後に「丹党一族の特性(金属文化との関連)と展開」について述べられ、「武蔵七党」の組織形態の状況(同一の祖先から分岐したと信じられる在地領主のゆるやかな同族意識による結合)についても言及された。

第2部 櫻井先生と新井先生のトークセッション>>>

櫻井先生と新井孝重先生(右)

参加者それぞれが抱く謎は解けたか…

 

 

 

 

 

 

 

 

第2部のトークセッション「テーマ:高麗郡と中世武士の動向」では、コーディネーター役の新井孝重先生(獨協大学教授)を中心に、櫻井先生と共に、参加者より出された各種の質問に対して、出来る限り回答し、講演内容全般のポイントをまとめて閉会とした。

改めて、高麗郡を歴史的によく理解するには、古代史から中世をみる、中世から古代史をみる必要性を感じさせられた講演会であった。

報告文:山田英次

今後も、中世や近世、高麗郡や高麗郡周辺などに関する歴史講演会を実施して参ります。