【報 告】新羅との深い関わりに触れた一日『下野薬師寺跡・那須国造碑』を見学 日帰りバスツアー 10/7
10月7日水曜日、渡来文化の歴史を巡る旅シリーズ 古代渡来文化遺跡を巡る② 下野国日帰りバスツアーを実施しました。コロナ対策のため、募集人数を絞って、当日は28人が参加しました。昨年第1回を開催し、上野国(群馬県)を巡りましたが、今回は右隣、下野国(栃木県)です。前回に比べ移動時間が長くなるため、下野薬師寺跡(下野市)と那須国造碑(大田原市)の2ヵ所に絞って訪ねました。
秋らしい心地よい陽気の中、高麗神社を下野国に向けて出発。さっそくバス車内では、日本高麗浪漫学会須田会長に基礎講義をしていただきました。予備知識を持ったことで、現地での学芸員さんの解説もよく理解できたのではないでしょうか。須田先生ありがとうございました。
下野国には、日本三戒壇(僧の受戒のための施設)で知られる下野薬師寺跡があります。実はこの薬師寺の伽藍配置は、新羅の芬皇寺(ふんこうじ)と類似しているのだそう。
出土品や模型の展示がみられる歴史館では、下野市教育委員会の下谷主幹が解説してくださいました。特に「なぜ下野にこのように大きな薬師寺が建てられたのか」「なぜ新羅と関係しているのか」参加した皆さんは熱心に聞き入っていました。
薬師寺跡は発掘調査され、東西250m、南北350mに及ぶ塀に囲まれていたことが解っています。復元されている回廊の一部や五重塔の基壇を見学しました。皆さんにタブレットが配られ、見学ポイントでは、バーチャル映像で当時の様子を見ることができます。参加した皆さんタブレットをあっちへ向けこっちへ向けて映像を楽しんでいました。
1時間半ほどの見学を終え、バスは那須国造碑へ向かいました。コロナ対策、移動時間確保のため、バス車内でお弁当を食べ、いざ大田原市へ
14時過ぎ、那須国造碑をご神体にもつ笠石神社に到着。大田原市なすの風土記の丘湯津上資料館の上野館長が出迎えてくださいました。早速伊藤宮司さんの解説を聞きます。やさしい語り口調で碑の特徴や発見された話、水戸光圀公の発掘調査に至るまで詳しく話してくださいました。
そして、いよいよ那須国造碑を見学。お堂に中に安置されている碑を覗き込むように見ます。刻まれた文字はくっきりと浮かび出ているように見えます。皆さん感慨深げに碑の文字に見入っていました。
最後は、近くにある、光圀公が発掘を命じたという下侍塚古墳を見学しました。大田原市なすの風土記湯津上資料館学芸員の鈴木さんが古墳に登って解説してくださいました。特別に私たちのためにパネルを用意して、古墳の特徴や、光圀公が発掘調査した経緯など説明してくださいました。
ここは「日本考古学発祥の地」といえる場所で、光圀公が学術的に調査し、遺物を記録し、保存のために埋め戻し、墳丘に松を植えて古墳を保護したのだそうです。那須国造碑だけでも歴史的価値があることはいうまでもありませんが、さらにそこに光圀公の功績が付加されて歴史的地域となっていることに驚くばかりです。テレビドラマで黄門様として親しんできた光圀公が「ハッハッハッ」と笑いながら発掘を見守ていたのか(発掘中には光圀公は訪れていません)と、ふと想像してしまうのは私だけでしょうか。身近なことに感じてしまうのは、国民的ドラマのなせる業なのか。光圀公は日光へは3回ですが、ここへは9回も訪れているそうな。
見学を終え、皆さんに見送られながら湯津上資料館をバスが出発すると、フロントガラスに雨粒が。私たちの見学が終るのを待っていたかのように、雨が降り出したのです。資料館見学から古墳見学に急きょ変更したため、時間が少々おしてしまいましたが、無事帰路につくことができました。
今回のツアー企画を下野市教育委員会の山口課長さんや那珂川町教育委員会の金子さんにお話した頃は、まだ新型コロナウイルスの緊急事態宣言が解除されて間もないころでした。にもかかわらず、感染対策を前提に企画を前に進めてくださったおかげで開催することができました。今回も多くの皆様にお世話になりました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。
また、今回も、バスは藤交通さん。しかもドライバーも原さん!今年もありがとうございました。ぜひ次回もよろしくお願いいたします。またコーディネートしてくださったイーグルトラベルの澤野さんにも厚く御礼申し上げます。
さて、来年2021年第3回は、どこへ参りましょうか?現在事務局では、日本高麗浪漫学会須田会長からアドバイスをいただきながら、絞って参ります。高麗郡建郡のためにやってきた高麗人たちがいた東国七国、次は常陸国か甲斐国か・・・ 『歴史とは、旅するものなのかもしれません』(語り:吉永小百合さん/JR東日本CM)・・・ 次回をお楽しみに!
※2021年10月に第3回の開催を予定しています。