【報 告】高麗郡建郡との関わりを探る 第18回歴史ウオーク 3/29(日)
好天に恵まれウオーク日和となった3月29日(日)9時、東武東上線「坂戸駅・南口」を出発、12キロの歴史ウオークが始まりました。参加者は総勢33名。今回も日本高麗浪漫学会の加藤恭朗先生が同行、特に坂戸市内の遺跡について詳しく解説してくださいました。
今回は、坂戸市内の遺跡と隣接する鳩山町の遺跡を巡りました。まずは、1.3キロほど西へ歩き土屋神社へ。到着すると、加藤先生が、おもに3点について解説してくださいました。公園の一角にある「万葉歌碑」。万葉集に歌われている「浅羽野」の場所と考えられていることから建てられました。土屋神社は、直径50mほどある円墳の上に社殿を構えた神社で、御神体は古墳の石室に納められています。さらに古墳上の社殿裏手には樹齢1,000年を超える神木スギがあり、埼玉県の天然記念物に指定されています。
神社裏から高麗川へ出て、高麗川大橋を渡り下田遺跡へ。
高麗川右岸から高麗川大橋を渡り、高麗川左岸へ。粟生田大橋脇で加藤先生が下田遺跡の解説をしました。坂戸西スマートインターチェンジや物流倉庫の建設に伴う発掘調査で明らかになった遺跡です。高麗川と葛川に囲まれた低湿地は、度々起こる氾濫で河川の流路が変化しながら肥沃な土地となっていました。縄文時代後期から営みがみらえ、1300年ほど前の奈良時代のころには水田開発が行われていたようです。
続いて訪ねたのが「柊塚(ひいらぎづか)」です。入西地区一帯には125基の古墳が見つかっています。この柊塚は古墳時代(約1600年前)のもので、周囲に溝が掘られた方形周溝墓です。
ここから入西団地を北に抜けて万福寺へ。ここには浅羽氏について記された大型石塔婆があります。
万福寺の裏手、越辺川の土手に出ると北浅羽桜堤公園へ。1.2キロメートルに渡って約200本の安行寒桜が植えられていて、3月上旬から中旬に見頃を迎えます。残念ながら今回は既に葉桜となっていました。それでも私たち以外にも多くの人が、お弁当を食べたり散策したりしていました。
午後1時に公園を出発。越辺川を渡り、鳩山町へ。
石田遺跡A、石田国分寺瓦窯跡へ到着。ここで鳩山町教育委員会の飯塚光生さんと合流し、ここから案内をしていただきました。令和5年3月に「石田遺跡」として、国の史跡に指定されました。7世紀後半から10世紀初頭の長きにわたり操業していたもので、坂戸市の勝呂廃寺をはじめ、鳩山町の小用廃寺や東松山市の山王裏などの瓦や須恵器を生産していました。8世紀中頃には武蔵国分寺創建期の瓦や須恵器の生産を行っていました。飯塚さんの話では、窯の構造など東海地方の影響を受けているとのことでした。また同じ斜面に造らた「赤沼古代瓦窯跡」では、建屋に覆われた復元された窯跡を見学しました。
最後に、鳩山町多世代活動交流センターを訪ね、出土品展示室を見学しました。
ここでは、縄文時代から近世に至るまでの鳩山町で出土した遺物が展示されています。飯塚さんが順を追って展示の解説をしてくださいました。参加した皆さんは、12キロ歩いた疲れも見せず、熱心に聞き入っていました。面白かったのは、「ここに展示している瓦や須恵器は、どれも失敗作です」との説明に、皆さん一瞬「?」・・・すぐに「なるほど」と納得していました。
下田遺跡と南比企窯跡群とは、窯業生産が活発化した古代では有機的な関係にあったと考えられているとの説明がありました。まさに、今回のテーマがそこにあり、窯業の一大生産地、いわば古代の大工業団地ともいえる南比企窯跡群がなぜそこまで発展していったのか。またそれを担う人々はどこから来てどこに居住していたのか・・・そして、それは高麗郡建郡につながるものなのか・・・さらに解明されていくことに期待したいですね。
さて、写真撮影のあとここで解散となりました。最寄り駅の「高坂駅」へは、距離にして5キロ、バスなら10分弱、歩けば1時間弱。路線バス組と徒歩組に別れて帰路につきました。
飯塚さん、たいへんお世話になりました。参加された皆様、たいへんお疲れさまでした。
では、次回(秋予定)もお楽しみに~
高麗1300




































